Body & Soul


僕が描いた作品を、僕が観て感じたように、人が観て感じてくれる訳ではない。しかし、人が観て、僕が観て感じたようなには感じていないのだという事を知ったとき、僕は、その事について考えるだろう。また仮に、僕が観て感じたように、人もほぼ感じているのだという事があったとして、それを知ったときも、同じく、僕は、その事について考えるだろう。…それで、再び作品を描き出すとき、それは何を意味するのだろうか?


…っていうか、簡単に言うと古い作品とは何だろう?という事か。そうね。古い作品というのは単なる途中過程か?あるいはかつてそこに居た筈の、再びたどり着かねばならないようなゴール地点か?…そもそも、僕以外の人にとってこれらは古いも新しいもない。というか、全部新しい。というか、全部未開封メールみたいなものだろう。


そういえば音楽なんかでも結構、玉石混合な感じの収録曲で構成されたアルバムだったりして、モノによってはすごい古いアマチュア時代の宅録曲なんかも入ったりしても、例えばこれ見よがしに音の質感を変えるとかでもない限り、通して聴いていて「ああこれだけは2年くらい古いのだろう」とか考えたりはしない。そんな細かいこと、最初の段階ではどうでも良くて、もっとざっくりと全体を聴くだろう。…なので描かれた絵の履歴に関しては、もっと他人事のようで良いのだろう。というか、実際まさに他人事でしかないし、そう開き直れば、それが面白いとも考えられるだろうと思う。もう昔の自分を他人としか感じられなくて、無関心でしかいられない。という気持ちよさ。その上で眺めて、「何これつまんないじゃん」と思っちゃったらヤバイが、そうでもなければ、まあとりあえず良いのだと思う。


たとえば(唐突な例えだが)女装したオカマがステージに出るとき、オカマは頭のてっぺんからつま先まで、完璧に神経を行き渡らせているのだろうか?まあ個人差もあるのだろうが、結構おおざっぱに適当にやってるのじゃないか?最低限の化粧と声色で、あと細かいところはあえて無視でキャーとか言ってるとき、そこで賭けられてる判断の力というのを信じたい。そりゃよく見れば不細工でしょうよ。でもそれがアンタにとってどれほど大きな問題だっていうの??どうせならもっと肝心なトコを観なさいよ!!さもなくば邪魔だから出て行ってよ。…みたいな開き直りの力。こういう感覚自体を「不快」とか言われるのだとすれば、僕はそう言う人とは永久に他人なのかもしれないが…。(僕自身はオカマとかではない。念のため)


ミケランジェロメディチ家「夜」という彫刻で寝そべってる女性像をはじめて観た時はたしか中学生くらいかと思うが、あれは感動した。ああいう自分の力ではどうしようもないかんじでだらしなく形振り構わず展開し押し広がって臭気と湯気を立てていそうな肉を背負った人間というのを、初めて観た。体は心の言う事をまったく聞かない。だからこそ、素晴らしい。