複雑さという事(浅見貴子「樹木図1」を観る)


「責任」を引き受けるというのは、ある意味浅はかな言葉である。たとえば美術作品のような物質の結果に対して「責任」など取りようが無い。というか、責任が取れるような表われ方をする作品はたぶん質が低い。だからそういう風に適当なところでもっともらしい言葉で考えを終了してしまうのは、褒められたことではない。僕が責任とりましたっつっても誰も面白がって笑ってはくれない。


人間が内部でいろいろ考えることなんていうのは、確かにタカが知れていて、そういうのはまあ犬も食わないのであって、美術に触れる事の喜びとは、そういう手垢にまみれたものとか、人の匂いとか、叙情性とかも全くないような、非常にクリアでさっぱりした、冷え冷えとした鍾乳洞とか、匂いも音もしない砂漠とかそういう類の、見晴らし抜群の世界に、ほんの一時でも触れる事に近いのだろう。


制作過程の中に、明らかに自分の手を離れていて、自然が摂理に基づいて行ったような乾いた人間臭を欠いた要素が織り込まれていて、そういう部分と自分のエゴとの複雑なやりとりが内包されているような所がないとダメで、そういうのを含まない作品はたぶんすべてゴミである。質の高い作品を観るというのは、こういう事を(自分の至らなさを含めて)一秒くらいで感じてしまうような作用をもたらす。…上野にある日本芸術院会館での、「文化庁優秀美術作品披露展」というのを観たのだが、ここで観る事が出来た浅見貴子氏の作品というのが、実際大変すごいものであったので、こういう事を書いているのである。


「複雑さ」と一口に言っても、その感じを言葉であらわすことは困難である。それは、多数の要素が集合していて集合条件とか集合規則とかに脈絡が見えないから全体を把握し辛い。とか、そういう風な言葉の上っ面的に言えるような事ではない。現実にある複雑さというのは、もっと即物的でまさに目の前に当然の自然摂理のように在って、矛盾するようだがとても「単純」に目の前に在るにも関わらず、その存在自体が既に「複雑」なのである。例えば絵画があってその複雑さに感動しているのだが、厳密に言えば、その複雑さが、これほどあっけない単純な諸要素の集合…というか、この物質そのもの自体だけで成り立って良いものか?という驚きで感動しているような感じもある。…で、そういう有様から受けるまったく取りとめも無くどこまでも伸びて行って、纏まる事を知らないような心の状態をとりあえず「複雑」と名付けてるようなものである。


そういうとき僕は、なるべく冷静に感情を意図的に殺して、無駄かもしれないけどできるだけ「効果」を生み出している筈の諸要素に還元して、部分を別個に見ようと試みる。これとこれとこれの組成で、こういう感覚を呼び覚ましている。。とか、内部で反芻する。このやり方自体は想像を超えるようなものではない、だとか、多分よく観ればさほどでも無い筈で第一、この形とか、こういうかたちの出方は本来、全く僕の好みではないのだとか、ネガティブに一々列挙しながら分析試行してみたりもするのだが、しかし、僕がイマイチ馬鹿だからなのか、あるいは他の人も大体そんな事なのかしらんが、人間は同時に3つとか4つのことを考えることができないし、感じることもできないのである。しかし、優れた絵画が持つ複雑さというのは、人間が持ってる本来の「大体一個か二個くらいしか、同時にものを考えたり感じたりできない」という前提に「全部一気に受け止めろ!」と激しく揺さぶりをかけて来るようなところがある。…前述の冷静な分析も、結局要素を数え上げているうちに分析ではなく感受でわーっとなってるだけに戻されてしまうのである。そのうち、あろうことか画面上の何も起こっていない筈の部分にまで、過剰に反応しはじめる事になる。で、もう形振り構わず、いつまでも作品の前に居続ける事になる。。(かたちを分析してるつもりでも、同時に色の印象が重なってくるともう、僕は全然ダメで、メロメロに感動してしまう。。もちろん僕だって今までかなり絵を観る経験は積んでいるつもりなので、若い子が生き生きしたロックチューンに夢中になるような感性はもはや無いつもりだけど、それでも、いやだからこそなおさら、このような無駄をそぎ落とした本当の意味でのハイクオリティに触れると、一層激しく動揺する)


こういう作品から受ける感覚というのは、このように恐ろしくタチの悪いところがある。それは人間の感覚を優しく慈しみ育てるようなものではなく、むしろ強い抵抗感として受け止められ、内面に混乱とか腑に落ちない感覚を引き起こす。しかし、やがて中枢神経に麻薬的に作用して病みつきになってしまうような、極めて厄介なものである。


(っていうか、作品の前を離れるとき、その作品が強烈であればあるほど、現実に戻る感覚が寒い。映画終了時みたいに建物を出るくらいのアクションと時間があると現実への切り替えも容易なのだが、絵の鑑賞はあっと言う間に現実に戻るのでキツイものがある。次の絵の前に移動するとかも同様)