グラビアの美少女


肌の露出が多めな若い女性とかを撮影したグラビア写真は、美術のカウンターでもないし、美術に不意打ちの一撃を喰らわす事ができるようなものでもない。グラビアは美術のほんの一滴の残滓から出来ているようなもので…というか、グラビアというのも結局は美術作品である。単なる低品質な美術作品である。


たとえば、路上で3000円くらいで売ってる花を描いた油絵があって、僕という画家は、例えばそういう描かれた花の感じに強くインスパイアされて、絵を描いてるようなものか?花を描きたいと思うのなら、実際の花を観察して、感じ取れる豊かさや複雑さや捉えどころのなさ(あるいは手垢の付いた既成イメージに抗ったりしつつ)を相手に、描けばいいのに、そうしないで、わざわざそういうフィルタリングされた何かをモティーフにしてるみたいなものか?


でも、それってたとえば、資本主義社会における代替可能な消費物としてのモノ/イメージをあえてモティーフにして描く事で云々…みたいな、要するにあなたの「コンセプト」なんでしょ?とか誤解されるとひどく困る。そういうのは僕はどうでも良いっていうか良く判らないし、もっと天然にバカな初期初動でやっている。


なので、僕の場合「コンセプト」は無しです!…というか、コンセプトとかで絵を描く気持ちは駆動しない。だからもっと別の衝動で描いてるのだけれど、まあ、単に低品質な美術作品を作ってる、とは言えるのかもしれない。仮に人からそう言われたら、まあそれは甘んじて受け入れても良い。コンセプトがどうとか言われるよりはいい。…っていうか、まあどうとも言われないし、どう言われても良いです。僕自身だって明日になったらまた何を言うか判らないし。


ところで話を戻すが、グラビア写真を見てたら、その写真の美女が、にゅーっと現実の、この空間に現われたとして、「ねえ写真と本物のアタシとどっちがいい?」などというアホウな展開があったとします。でも、いやー僕、本物より写真の方がいいですっていう事は実際、多々あるであろう。


それは、実際に見ると君イマイチだねとか、写真ってのはモデルとかライティングとかロケーションとかも含めて全体で良いんだとか、そういう事でもあろうが、まあ単なるワイセツな気分を楽しみたいだけだとしても、それでも実在の肉体より写真の肉体イメージの方がいいです。みたいな。そういう話はあると思われる


そういう「本物」と較べたら比較にならないほど単純で貧しいイメージなのだけど、そうであるがゆえに、却って欲望をはっきりと輪郭付けしてくれて、明確化してくれる力の作用というのはあって、その単刀直入パワーというのは侮れないものがある。っていうか、そっちの方が実は明快にエロいし、そっちの方が笑えるし、感動できるし、共感できる!…だから、それは本当に、それでしかないのだけれど、この一枚岩な阿呆みたいな単純な貧しさに拮抗できる「豊かさ」っていうのは、そういうのに至るには、なかなか大変なんじゃないか?っていう気分にもなる。


で、どうなんでしょうか…おそらく僕は、そんなところらへんにおいて、色々実験を重ねているつもりな訳です。