魅力的な男性というのがたまに居るものだ。僕がそう感じさせられるのはほとんどすべてサラリーマンだが、普段仕事の中で、たまたまそういう人に出会える事があると嬉しい。強い枠内に縛られた中で結果を求められている人物の、反復のマンネリズムから来るある種の倦怠や澱みが生み出す、荒廃した感情の表面のざらつき具合が本当に素晴らしい人というのが、この世にはいる。経験を重ねている事だけが漂わす事のできる迫力には思わず魅了されてしまう。(それを相手が自意識に取り込んでしまってる場合は、取り込み方がまずいと駄目だけど)…たまにお愛想程度の笑顔を挟むけど基本的に不機嫌そうで、かったるそうで、でも要点は抑えていて必要なところではしっかりマイルストーンチェックされていて、まあやや話かけづらいし一緒に居ても楽しくないかもしれないけど、ある種の覚悟感は漂わせていて、それへの乾いたあきらめも併せ持っていて、かなりのトラブル背負っても持ち堪えそうっていうか、本当にヤバイ瞬間とかこういう人が指揮官なら未だ救われるだろうなあみたいな感じの男性。もちろん想像。実際にはどんなヤツなのかは知らない。要するにそういう妄想を起こさせるような感じの男性。
「男性」とは本来、男性の身体の事ではなくて、実体を伴わないような意味の複合体を称してそう呼ばれてるのだと思う。だから「男性」の魅力とはどうしても抽象的なものにならざるをえない。「男性」の魅力とは肉体などの物質だけに因るものではないし、名前や容貌などの記号だけに因るものでもない。まず人間のイメージから切れて自律してる反復行為とその成果が生み出す抽象的なイメージがあって、その独自な質感が、男性を指し示す物質や記号と複雑に絡み合い結びついたときの、総合的なイメージの魅力ともいえるだろう。だからほとんど身体をシステムに奪われてしまっており、一度きりの生を奉仕に向けさせられてしまってるような事態こそが、やはり魅力的な男性である事の第一歩なのだと思う。そのように自らの身体を埋没させる事ができるかどうか。(若い男性は魅力的になりたいなら「自分探し」なんかやめて「奴隷志願(Volunteered Slavery)」を実行するのがベストでは?というのが僕の持論、うそ)
まあ僕なんかはどうあがいても魅力的な男性にはなれない事に随分前に気づいたというか、そういうのを目指すのをあきらめた。大体、美術とか作家活動をやる人間にはそういう魅力をもった人間は居ないのではないかと僕は予想している。永井荷風だって近くで見てたらたぶん全然魅力的じゃないと思う。知らないけど。美術作品とか文学作品とかの魅力に比して、作家というのはおおむねみっともない種族なのではなかろうか?
…とりあえず自分が、もうどうあがいても魅力的な男性になれないしそうなりたいとも思えない、と悟ったときから、自分以外の魅力的な男性に出会う事がとても楽しみになった、というかそういう働く男性の魅力というものをすごく素直に受け取るようになった。まあ僕自身がサラリーマン生活している事で、それを発見出来たことも大きいが。だからたまに、そういうビジネスパーソンに出会うと、あぁいいなあ、と思ってうっとりと憧れの視線を向けてしまうので、それはまあ相当危険な行為なので注意が必要である(笑)…可愛い女性とかキレイな女性が大好きな女性というのもいるのだろうけど、心の動きとしてはそれと同じ事かもしれない。これらの感情とは、おそらくホモセクシュアリズムとかレズビアニズムとかとは違う感情なのだと思う。それよりももっと微かな同性への親愛の気持ちというか、なんかそういう感じっていいよね、というそれ自体では何にもならないようなぽかっと浮かび上がった好意、というか肯定、の気持ちなのですが。…まあでも、もし僕が女性ならこういう人は魅力に感じるだろうなあとも思うから、それはやはり恋愛感情(片思い)に近い部分もあるのだろうが。