「Expression」John Coltrane


Expression


たとえば、絵をずっと描き続けているとして、描けば描くほど学習して、今まで上手くいかなかった事が上手くいくようになって、その結果上達して、どんどん良い方向に進んでいけるのか?といったら、どうもそうではないのが現実のようである。それは、上手くいくはずなんだけれど、何らかの事情で思ったとおりになっていないとか、そういう事ともちょっと違う。どっちかっていうと、結果的に、ずっと描き続けているだけの事で、前に描いた絵と、今日描いた絵と、それらとの間に、実は特に関係が無い、という事実が厳然と存在する、という事なのである。


だから、半年前に描いた絵と、今日描いた絵は、非常に、まったく何の関係も無い。それらは、セットで見較べても、まあそれはそれで観れるのかもしれないが、特にその間に、読み取らなければならない何かがある訳ではない。


僕自身もそうで、15年前と、3年前と、今との僕は、おそらくお互いに(?)他人である。それらが何らかの関係を持ってるだとか、一つながりの意味があるとか、そういうのもおそらく幻想ではないかと思われる。こうして、日記を書いていても、僕にとっては、この過去の日記の積み重ねが、笑うくらい何の意味も感じさせてくれないのだが、これはあとどのくらい経つと、何か、ちょっとした何かを感じられるようになるのだろうか?あるいは、ずーっとこういう感じで、なんだかしらないけど続くのだろうか?


というか、大変久しぶりに、コルトレーンの遺作である「Expression」など聴いてしまったのだが、これはコルトレーンのジャズ地獄巡りとも言うべき怒涛の大冒険人生の終局を飾るアルバムな訳である。1967年リリースです。で、晩年の体も心も砕けてしまうのではなかろうかと云う程の激しいテンションに満ちた演奏が突き抜け切ってしまい、なんとも静謐なあの世のむこう側みたいな、ほとんど宗教的ですらあるような世界にまで逝っちゃってる音楽であり、特に「Offering」などという曲を、かつての僕は激しく愛していたりもしたように記憶するが、でも久々に聴いたら、なんというか確かに素晴らしく感動的な曲で、全編に作用する硬質な抽象性が甘いベタツキを絶妙に抑えていて、激しいブローにも陶然とさせられるほど濁りが感じられず、神掛かってるという言葉がぴったりの演奏だとは思うものの、しかしこれで最後です、という話だとしたら面白くない話だよなと、軽い反発も覚えたのであった。


この演奏を収録したとき、コルトレーンは自分の死期を予想していたのかいなかったのか…そんな事は実にツマラナイ事であり、別に1963年のニューポートでこれを演奏したって、全く問題なかったのだ。そういうのこそ、ワクワクさせられるってものだ。というか、晩年のコルトレーンはそういう意味では非常に良くない。物語臭さが強すぎる。というか、全体的に、人間が努力して、成長して、進化していく、という物語が強すぎて、それに音楽が押し込められている感じである。…であるから、シャッフルして聴くのがお奨めです。