母の遺産


水村美苗「母の遺産 -新聞小説-」読み終わった。単に僕が知らないだけかも知れないが、これだけハイソサエティな家の家族を舞台とした現代の小説って珍しいのではないか。遺産とか貯蓄額とか施設入居費とか慰謝料とかマンション購入費とか、露悪的なまでに具体的な金額が提示されるのだが、それは登場人物にとっては露悪ではなくて当然のことなので、読んでる我々がそれを羨望と嫉妬の思いで見ているだけのことである。そういう意味でやはり「細雪」っぽいとも言えるか。


後半の展開はさすがに都合良すぎかとも思ったが、まあ小説が読者に夢を見させてくれるというのはそういうことだとも言えるし、別にこれはこれでいいのかなどと考えたりもしたが、続けて同著者の「日本語が亡びるとき」を読み始めたら、ああなるほどと思った。「転地療養」っていうのは、それに期待したい思いというのは、そういうことなのかと。ちなみに「日本語が亡びるとき」はおそらく水村美苗の著作の中でも最も広く読まれた本かもしれないが僕は未読で、しかし当時雑誌に掲載されたIWP参加を描いた序盤の箇所だけは読んでいて、筆致の見事さが実に素晴らしいと思った記憶がある。…などと思って自分のブログを検索したらたしかにそんな事が書いてあった。しかし、もう十年経つのか。


「母の遺産」では、観もしないDVDを「私にはこれこそが大事なの」とばかりに胸に抱える最晩年の母親の姿がせつないというか、ある意味リアル。私事ながら、我が亡き父も晩年はほとんど読書などしてなかっただろう。話題のあの本を送ってくれとか電話で言われるたびに送ったけど、結局全然読まなかったのではないかと思っている。当たり前だが本を読むのはテレビを見るよりも全然疲れる。支える腕も上半身も疲れるし活字を追う目も疲れるし頭も疲れる。映画を観るのに必要な集中力ももちろん心身を疲労させる。老化による衰えはそれらを困難にする。鑑賞というのは体力がいるのだ。