「Gloria」Jimi Hendrix (The Jimi Hendrix Experience 4CD Set)


The Jimi Hendrix Experience


ゼムのヴァン・モリソンストーンズミック・ジャガーは、歌い手としての能力…声質とか表現力としては、平均的な黒人R&B歌手の足元にも及ばないだろう。ミック・ジャガーなんか、ある意味では素人より下手かもしれない。しかし、だからこそ逆に、まともに黒人歌手の真似をするのではなく、攻撃的な側面をあえて強調して、険しい顔で吼え、がなり立て、そこらじゅうに唾をいっぱい飛ばすような、短くて激しい勢いの、非常にアタックの強い発声や、自らを制御しきれていない有様をあえて露呈し晒すようなシャウトで「怒れる若者」などとも呼ばれてしまうような極めて独自な白人ソウルシンガーの形式を作り上げる事に成功したのだと思う。(勿論リトル・リチャードとかの影響もあるだろうが)


ところで、ジミ・ヘンドリクスのボーカルスタイルはよく云われるようにボブ・ディランからの影響が極めて色濃いと思うのだけれど、意外と前述したようなブリティッシュ・インヴェイジョン時代のボーカリストからインスパイアされてる部分もかなりあるように思う。というか、想像だけどジミはブリティッシュ・インヴェイジョンの渦中にいると思われる事を嫌だと思っていなかったのではないか。イギリスで最初、人気に火がついて、それを基本的にはそのまま受け入れていたと思う。そうでなければトロッグス「恋はワイルド・シング」のカバーをしたりクリームのカバーをしたりはしないだろう。というか、ジミは黒人であるにも関わらず黒人R&Bシンガーのように歌う事ができなかった。これは単純に、歌の能力として技術的に無理だったのだと思う。だから自分に出来る事をしなきゃいけない、というのがあったろうし、それと同時に、同時代でそういう本場黒人モノのフェイクみたいな歌い方が巷に溢れていただろうから、そういうのが渾然となって、あの独特のスタイルになったのだろうと思われる。…まあ、お得意のギミッキーなギタープレイやエキセントリックなパフォーマンスぶりは、当初から留まる所を知らぬ勢いっだったのだから、どう考えてもブリティッシュ・インヴェイジョンという枠内に治まるようなタマでは無かった訳だが。(コルトレーンは音をシーツのように敷き詰めたけれど、ボブディランは言葉をシーツのように敷き詰めているような気がする。いずれにせよそれは、音や歌詞というものに篭っていた従来の表現性とか余韻とかの否定であったと思う、ジミはこの点において彼らの系譜に連なっているようにも思う)


さて、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスはブリティッシュ・インヴェイジョンの代表的グループである「ゼム」のナンバー「Gloria」もカバーしている。調べてみたらここにもあった。…とにかく僕は昔から、この「Gloria」カバーテイクが、数あるジミヘンの画曲群の中でも、確実に5本の指に入るほど好きである。このテイクはもしかするとお遊びというか、シャレで演奏された側面が強いのかもしれないが、それゆえに他では絶対聴けないような、イギリス産R&Bの直進性と粘りとコクを下地にして、縦横無尽にジミのプレイスタイルが炸裂するような、独特で圧倒的な充実がある。ボーカル・演奏・ソロギタープレイ…すべてが有無を言わせぬすごさだが、加えて適度な力の抜け方、というか投げやりさがあって、曲としてちゃんと着地させなきゃという気持ちが薄いまま演奏が展開していくので、グダグダっとしたと思ったらまた猛烈に高みに昇ったり、そのあたりも含め実に素晴らしい9分弱である。


そんな訳で、アメリカ凱旋前の初期の(少なくとも1968年頃までの)ジミ・ヘンドリクスサウンドには、アメリカンミュージックに簡単に回収できないような要素が多様に含有されている。不思議なものでヴードゥーチャイルの原型である「CatFish Blues」とか、オリジナルのスローブルース「Red House」とか、そういう類の、どちらかというと極めてアメリカ南部的な土臭い感じになりそうな曲が、なぜか不思議とそういう風には聴こえず、まったく別の、モダンな、短絡に満ちた攻撃性を含んで寒々しく凍てついた肌触りを持つように感じられるところがあるように思える。僕に云わせればそれはおそらく、濃厚な「ガレージ」の匂いと云ったようなものであり、つい「パンクだねえ」と口を滑らせたくなるような、いずれにせよ極めてイギリス的なテイストであるようにも思える。この「Gloria」はそれを端的に示している。