「残菊物語」


残菊物語 [DVD]


観終わって、しばらく虚脱状態で呆然とした。。感動に包まれつつ、でも微かに腑に落ちない事があった。何かというと自分自身に対してである。…いくらなんでも僕は泣き過ぎであった。云っちゃなんだが、たかが映画で、30ヅラ下げた男が(こないだ36に鳴りました)こんなにめそめそ泣いて良いものか?と思わざるを得ないほどお徳さんの不憫を思って泣いた。もうこれでもかといわんばかりに泣いた。


んで、いくらなんでもたぶん「…ちょっと僕が何か、この映画について誤解してるというか間違ってるんだろう」と思ったので、ざっくりとネットで「残菊物語」について調べた。それこそ「芸道物」とか「新派悲劇」とかそういうのをはじめて知りました。皆、落ち着いた感じの正確でクールな感想をお書きになっているのですね。俺は今も思い出すだけで大号泣してますわ。。知るべきことはまだまだ、多々あるのだとわかった。そういうのを、やはりある程度「知っている」というのは重要な事なのだと思われる。世間常識として、共通の知識として「知っている」からこそ、メロドラマとかそういうのは輝くのだろう。


…という短い感想で終わらせるつもりだったが、やはりそれは無理というものだ。今に始まったことじゃないですがネタばれします。もし未見の方はこんなもの読んでないで是非すぐ残菊物語ご覧になって下さい。この映画の鑑賞者であった僕が、終わるまでのあいだ、どれほど辛く切ない時間を過ごしたと思ってるのか判るか?!という話である。…いや最初僕は、菊之助の芸について評するお徳さんの生々しい批評の言葉で、菊之助の目が醒めるなんていうのが、ちょっとなあ・・と引いていたのだ。菊之助は確かに褒め殺しの毎日で真綿で首を絞められるような状況に追い込まれてはいたのだろうが、それでもちやほやされて坊ちゃん扱いでいい思いもしつつ、修行しなければ判らない事だって沢山あるのだろうし、それこそが御曹司の2代目ってもんでしょ。強固な歴史と伝統の中でやるべき事をがっちりとやっていけばいいじゃん、と思うのである。でも、お徳さんの妙に確信のこもった生な(それゆえ独りきりの、すごく毅然としてるけどいっぱいいっぱいな)批評の言葉の方に真のリアリティを見出してしまうと。そこに真実とやらがあるのだっていう話で、そんな事を女将さんに滔滔と話したって「それは奉公人ごときの考えることじゃないわよ」と当然云われるだろうし、それでも良いからって二人揃って奈落へと身を窶して行く…のであるが、まあ、阿呆ふたりだから当然だししょうがないやねと思って観ていた。


しかし、あの最下等な下宿屋2階で始まる夫婦生活の瑞々しさとか、状況が悪化してどこまでもどこまでも落ちていくのにいつまでも連れ添っている二人を見て、心を揺さぶられない人間というのが存在するだろうか?お金を渡すのを拒んで引っ叩かれたり、雑魚寝の宿屋で咳き込みながら煎餅布団に包まったり、もうここでのお徳さんは不憫という言葉を通り越して悲惨なのだ。(まあでも芸事への強い拘りと亭主が成功する事の確信は捨ててないので、ほとんど狂信者的である)…悪いけど俺にはこれは無理。こんな状況に耐えるくらいなら、芸事とか平然と捨てますね。実際、自分が惨めな思いをするなら結構耐えられるかもしれないけど、身内が辛い思いするとか、そういうの耐えられないですよ。。


そして、菊之助くん起死回生っていう感じで奇跡の復活後、別れさせられたお徳はあろうことか、また元の、あの粗末な下宿屋2階で独りの生活を開始するのである。(ちなみに僕はこのあたりでも、なんだそれ!ふざけんな信じられない!とか怒り狂ってハンケチを噛んで泣きまくっていた。)何も家財道具のない、粗末なガランとしたかつての住処に独りで戻ってきて、幽霊のようにボンヤリとするお徳。。そのとき、はじめて夫婦生活が始まった日と同じように、打ち出し太鼓の音がかすかに聞こえて来るのだ!!僕はこのとき、全身が震えるほどの感動に包まれたのだけれど、それと同時に、何かやり場の無い怒りのようなものも微かに感じた。それは、上手くいえないが、こういうとき「映画」っていうものは詰まる所、結局こういうことしかできねえのかよ!?という怒りだったと思う。何十年も昔から飽きもせず毎回毎回、似たような事ばっかやりやがって!!という事なのだと思う。素晴らしいがゆえに、その程度が限界かよ!という気持ちをほんの少しどこかに感じてしまう。…考えてみれば酷い。お前如きが、映画自体大して観てもいない半可通の癖に、あろうことか溝口作品の金字塔に向かって何たる無礼で身の程知らずな云い方だよってな話だが…。でもたぶん結局、僕はお徳という登場人物が、本当にこの世界に実在したのだという事を疑っていないのだと思う。それで、映画というのは、こういう気高い人が実在したんだよ、という事さえ指し示す事ができれば、それでもう充分に役目を果たしたんじゃないの?とも云いたくなってしまうのだ。ワンシーンワンカットの奇跡とか横移動とかも確かにすごいけど、そういうの自体は別にどうでもいいような下らないことなのだ。お徳さんという人が確かに実在したという事に較べれば。というか、そういう実在したという事を現すためだけに、あるのだ。


(いや、でも思わずものすごい直情型の感想文にしてしまったが、さっきDVDをまた最初から所々観直してたけどやっぱり、こんな単純な文章書いても何もならないわ、と思わせるような細部がてんこ盛りで、本当にとんでもない完成度だ)