激怒爺


長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を報道してるニュース番組で、先の問題発言した大臣に対してどう思いますか?というインタビューに答えて、完全に本気で激しい怒りを顕にして非難のことばを連ねているご老体なご紳士の映像があって、その、白髪を乱し目を潤ませ表情を歪ませた怒りの顔をじっと見ていて、発せられる言葉の内容云々というよりも、その映像に映るその方の表情に、このじいさんいいわーと少し心が動く。


そうだ、こういう風に怒らなきゃ駄目なのだ。このじいさんみたいに、もう何か云うときは、完全に本気で、妙な照れも韜晦も保身も自己スタイルへの配慮も言い訳の余地も、全く無しで、超・本気モードで思ってる事を炸裂させなきゃ駄目なのだ。ことばが伝わるだの伝わらないだの、相手に通じるだの通じないだの、そんなの全て下らない事だ。ここにこうして、烈火の如く怒り狂ってる俺がいるという、それだけが現実なのだ。この表情を見やがれ!という事で、この世の全員に、自分の感じてる不快さと怒りと悲しみに満ちた憂鬱なシケタ表情を存分に見せてやるのだ。


ああいう表情を見ると、自分もこの後、年をとって老人になっていく事に対して、マジで希望というか喜びの要素さえ感じさせてくれる。「老人」という言葉に纏わり付く凡庸なイメージとかを遠く彼方に置き去りにして、自分の問題を自分で考え、感情を剥きだしにして怒り狂っているというその姿に感動させられるのである。たった今もこれからも、死ぬ直前まで、好きなように怒り狂う権利を行使できるのだという事に。