「清作の妻」


清作の妻 [DVD]


1965年増村保造作品をDVDにて。個人的には日露戦争前夜の日本の寒村とそこに生活する貧しい村民がモチーフというだけで興味深い。(製作された60年代というと、もう時代としては比較的新しいというか、やや現代に近い印象があるが、それでも60年代の時点で振り返られる1900年代初頭と、今振り返られるのとではイメージの奥行きが全然違うだろうと思われる。ちなみに敗戦直後〜60年代くらいまでの映画に普通に出てくる「復員」とか「引揚」とかそういう言葉を、同じように今を生きてる我々と同時代の役者に喋らせるのはやはり難しいだろう)


この映画でやや物足りないと思わせるのは「共同体的な制度が推奨する名誉や誇りでは人間は幸せになれない、そういうのは悲しく空しいだけで、それよりも愛し合う二人が何の気兼ねもわだかまりもなく平和に暮らる事、それ自体がもっとも価値ある事なのだ。」という考え方をイデオロギー臭く強調し過ぎている事だ。それはたしかに正論だが、正論だから映画が説得力を増す訳ではない。だからラストとかは感動的なムードばかりで、ほとんど面白くない。むしろ見ごたえがあるのは妾時代〜村八分時代の、ほとんど世界全てに無関心だった若尾文子の無気力感が、次第に恋人依存の、相手無くしては何もできなくなってしまうような女に変わり果て、まるで麻薬を求める中毒患者の如くに変貌するまでの、その変遷過程である。


映画の冒頭、妾として金持ちスケベ老人の玩具にされ、無表情なまま浴室にまで同行させられ裸身を晒し老人の肥えた背中を洗わされる若尾文子が全身で放っている強烈な無気力感。絶望でも希望でもなくまさに投げやりという感じ。それは病気の父親や、声を上げて泣き、罵り、わが身の境遇を嘆くばかりの母親を前にしたときでもさほど違わない。やがて死んだ老人の巨額の遺産の一部を相続して手切れ金とされて縁を切られても父親が死んでも元の村に戻っても、ただ座って虚空をぼおっと見ているだけだ。…オメカケで汚れてるだの挨拶もしないだの、延々ととどまる所を知らぬ勢いで果てしなく続く醜悪で聞くに耐えない村民たちの噂話と村八分の排除作用がフル稼働している状態で観ていて気が滅入るが、若尾文子の無表情を見てると何か溜飲が下がるような思いすら感じる。どろっと沈殿するかのようなグレー一色の無気力オーラさえあれば、下らないご近所などものともせず、ほとんど問題なくやっていけるんじゃないだろうかとさえ思わせる超然とした表情。


しかしそんな若尾文子もやがて、模範兵として退役し故郷から名誉の村民として迎え入れられた清作(田村高廣)と出会い、いつしか惹かれ合い、恋仲となり、夫婦となる。…母親の死をきっかけに、酒の酔いと一時の寂しさを無理やりの起爆剤として、篭りつつある欲望を発火させ、やがて狂ったように貪り合う。村人たちは村の誇りの模範兵が村八分の家の元妾と結婚したスキャンダルに沸き立つ。暗闇の中で油にまみれたようにぎらつく裸体と、村民のうんざりするような低劣で下品な噂話や猥談が対比される。(村の様子は徹底的に最低な雰囲気で描かれている。…いやぁ、でも日本の田舎って今も昔もこうかもなあと思わせる。。こういう集団の感性こそが、我が子や近隣の息子さんを兵隊として立派に出征させて名誉だの立派だあっぱれだの死んで来いだの云って憚らないのだろうと実感させられる。)


という訳で物語はメンドクサイ状況になって来るのだが、もはや愛欲の虜っていう感じで形振り構わぬ若尾と違い、夫の清作はまだ自分の社会的存在価値を信じる事ができている。この自らが起こしたスキャンダルを自らの力で社会道徳的にも倫理的にも適切なものに回収できる事を確信しており、村人と会っても悪びれたり卑屈になったりする事も無い。だから村民を起床せしめ今日の仕事につかせる「釣鐘」打ちの日課もやめようとしない。この「釣鐘」打ちは、清作が(というより世の男性が)自らの欲望や幸福の在り処と折り合いを付けつつ同時に社会的存在としても存在するための、最低限の「お勤め」であり、社会的存在としての自分を自己確認できる最後の拠り所でもあるだろう。そして若尾文子がその妖艶さに拠って物語を揺るがせ推し進めて行くのに逆らうかのように、田村高廣召集令状を受け取るや、もう一度模範兵として村人の模範として再度出征し、兵隊として、日本男児として完璧な振舞いを遂行する事に疑いすら持たない。このあたりのズレがどのくらいのグシャグシャを経てどうなって行くのか?を期待したので、終盤、ちょっとツマラナイ結論にすりかえられた感じがする。(無理解や嘲笑から逃げずにこのまま自分たちの生を貫き通そうという決意は立派であるが、それは決意として立派なだけである。…しかし65年当時、こういう決意がある種の説得力を持っていたのだろうというのは理解できる。というか今でも充分説得力はあるか。)


しかし夫の目を五寸釘で突くという一連のシーンも相当堂々とした流れで見せてくれて、このあたりも素晴らしく良いと思った。苦痛に絶叫する田村の、血に染まった顔面の正面からのショット。(超痛そう!)惜しげもなくふんだんに流されあたりを黒く染める血液。着物の前ほとんどを血に染める若尾。逃げる若尾を追い詰め、村民による投打と縛り上げの凄惨なリンチを延々とカメラは追う。…こういう、前述した冒頭の若尾のシラーっとした無気力さとか暴力シーンとかが割合しっかりと効いていて映画全体の印象を濃く豊かなものにしている感じ。