二日続けて雨だと、人通りも少なくなるのか、ジムも電車の中も駅前も閑散とした印象だった。冬の冷たい雨の降る日が続くなんていうのは、人の気持ちをいちばん滅入らせるのかもしれない。
雨といえば、小津の「浮草」…というか土曜日の午前中、テレビをつけたら偶々放送していたのを観たのだった。中村鴈治郎の隠し事についてじょじょに疑いを持ち始めた京マチ子が、色々と探りを入れはじめるあたりからだ。観てるととにかく京マチ子のイラつき方に魅了されてしまう。モノをわざと乱暴に置いたり、タバコ入れから苛立たしげにタバコを引っ張り出して咥えて、荒んだ仕草でマッチを擦って火をつけて、すぐに適当にぽーんと放り投げて、タバコ入れもがーんと机上に投げ捨てる。隣に座っている中村鴈治郎は「おい、いいかげんにせんかい」とたしなめるが内心は穏やかではない。京マチ子。表情は変わらない。ただひたすら、じっと一点を見ている。沸々と、音もなく、ただ怒っている、怒っている…。
中村鴈治郎にとって息子(川口浩)は、自分の心の拠り所のような、愛するべき守るべき対象としてすべてに優先される存在である。旅芸人である自分と違って、息子は人間として出来が良いから、勉強して将来はきっと出世する、トンビが鷹を産んだ、それが誇りだし、それに期待している。だから京マチ子がその領域に侵入しようとすると、中村鴈治郎は怒る。「息子は、お前らなんかとは人種が違うんじゃ人種が!」と怒鳴る中村鴈治郎の、煮えたぎるような怒りの表現は凄い。京マチ子と中村鴈治郎。対立する二人は向かい合う。有名な豪雨の軒先のシーンでは互いの距離が詰められることはないが、寝泊りしている家の広い板間では接近して向かい合う。相手をどやしつけて、その場に棒立ち、釘付けにさせて詰問して、最後は殴る。何度でも執拗に手を上げる。小津映画で男が女を殴るシーンは意外と多いが本作もかなり凄くて、京マチ子も若尾文子もかわいそうなくらいで、「浮草」は小津作品の中でひときわ荒んだバイオレンスな雰囲気が漂っている気がして僕はかなり好きなのだが、ことに京マチ子は中村鴈治郎に対して絶対に自分の主張を曲げず、中村鴈治郎にとって息子を絶対的存在とした自分だけの領域を守りたいとの思いに対して、私の知らない過去を勝手に守り続けるなんて許さないと、私と貴方は対当でフェアな関係のはずだと、その考えを絶対に譲らない。だからこそ若尾文子に川口浩を誘惑させるという、ちょっとやり過ぎと思われるような作戦を実行してしまってとくに後ろめたさも感じず、事態と知り愕然として荒ぶり怒り狂う中村鴈治郎に対しても「これでオアイコやないの、二人でもう一度やり直しましょう」と平然と言ったりする。とにかく激しく荒んでいて、しかもあの豪雨、ほとんど戦争映画の肌ざわりのようだと思う。だから何もかも滅んで焼け跡のように何もなくなって、ラストの終戦では安堵して脱力するだけ。