実存主義と思い込みと私


「世界はこんなふうにも眺められる | Web草思」 の保坂和志のエッセイ9/27更新分を読んで…まあ僕の人生において、僕なんかは自分の中にもう抜き難く存在しているのが「実存主語的」文学観であり美術観であるなあと思う。っていうとものすごく偉そうだ。全然そんな事はない。っていうかぼくは実存主義なんて意味がわからない。でも1971年生まれの僕は、なぜか昔、カフカドストエフスキーサルトルも全部、実存主義だと思っていた人間である。っていうか、それは云いすぎ、というか、言葉がはっきりし過ぎなのだが、なるべく正確に云うと、カフカとかドストエフスキーとかサルトルとか、そういう「ハードコア」な作品が背負ってるのは、全部実存主義とか云われてるような考え方に集約されてるんだろうなあと、ぼんやり思っていた。という事だ。多分周囲の影響だ。…別に激しくそういう思想だのアンガージュマンだのが激論される場になんか居た事ないけど、なんかそういう空気が何かの周囲に煙みたいにうっすらと漂っていたのだと思うのだが。まあ僕が愚鈍で怠惰なのが一番の理由ですが。


実存主義についてはさっぱりわからないし、大昔サルトルを読んだ事はあるが内容はまったくおぼえていないので、こういう事を書いてるのが恐ろしい話ではあるが、それでもまあ、僕は昔、何となくのニュアンスとして実存主義っぽい感じというのを感じていて、それに観るものすべて当てはめていくようなところがあったと思う。


僕の中に残っている実存主義っぽいニュアンスというのは、云わば人間がある環境下で、自分の自由意志で生きる/生きられない、という狭間にあるその様相を鋭くあらわす!みたいな…そういう感じである。画家が「人間」を描かずして、何を描くのか!という事である。これはまあ、結構タチの悪いナルシシズムも本当に都合の悪い箇所には目を瞑る狡猾さも含有していたりもして、あとそういえば日本の団体展系シュルレアリズムにも実存主義的な演出が施されたものが多いような気もするしやっぱ描くモチベーションがそのあたりにあるのだろうと伺われるような明快なもっともらしさがあり、まあいずれにせよなんだかなあというものではあるのだろうが、まあ正直に云えば、僕は特にそういう日本の実存主義っぽいニュアンスが表現の世界に蔓延していた時代というのを「下らない」と一刀両断し切れない気持ちが結構ある。ように今思った。でも明日になったらやっぱ一刀両断するかもしれないので、その辺よくわからない。まあでも、そんなもんにかかずらっても良い事ないのだとは思う。でも何となく可能な範囲でそれなりに過去を追いかけたい気持ちはある。まあ僕は多分、なんだかんだ云っても戦後の日本というのをそれほど嫌いじゃないのかもしれない。むしろ何らかの屈託というか、何か忸怩たる思いでもあるのかもしれない…いやそんなの心当たりないけど。


まあでも、本当は描く理由なんて何でも良いのだろうと思う。かりに今、実存主義でも全然構わない(今あえて実存主義だと逆に良いとかそういう話でもなく本当にどうでも構わないという話)っていうか、すべて、ものすごくどうでもいいという感じだ。昔は「実存主義」以外に手を出すのは結構難しかったのだろうなあというのは想像できる。周囲を気にするとかではなく、その場にいたら自分の頭がそれ以外の答えを出せないのではないか?敗戦から70年初頭までは、そのあたりある程度、一直線だろうと思う。戦後民主主義下のヒューマニズムと称する歌舞伎の型みたいなマンネリズムもそういう事に理由がある気がする。現在を生きていてはっきり云えるのは、やはり今は昔より豊かになったので、なんだかんだ云っても相当な自由度で「理由」を選べるという事だ。と書いたがそれは本当か?今を生きる僕は「自分の頭がそれ以外の答えを出せない」事実の中に依然としているので、そういう事から脱出できた訳ではないのだろう。多かれ少なかれ。いやもっともっと好き勝手に考えれば良いのだと思う事もあるし実際。


っていうか「自分の頭がそれ以外の答えを出せない」事が描くモチベーションになんかなる訳がなくて、描くときはもう、うわー!っと描くのだ。よくもまあそこまで思い込めるねぇと後で自嘲するくらい、その気になって得意になってやるのである。さすがに、やっぱりイマドキ絵を描くなんて相当なアホウだよなあと思う事もある。…話をやや戻すとまあ少なくとも本当に社会参加したい人に絵は描けないのである。っていうかまあ、なんだかんだ云っても絵を描くというのは絵を信じてるから描くのだ。まあ微妙だけど。絵を描く理由というのは結構、本能的欲望的なところと、極めて観念的抽象的なところが混ざり合うけど、根底にあって描く人の背中を押すのはやはり妙にこわばったような勢いと思い込みの力しかないかもしれない。


しかし話がずれてずれて何が書きたいんだかさっぱりわからない。