新宿


何か、なんにも書きたくないというのは要するに、やれば何か書けると思っているから、その逆作用として、ああ何も書けないからもう何も書きたくないと思っているのだろう。そんなの最初から、何か書けるだなんて、そんななんの根拠もない思い込みの方を捨てた方が良い。はい。じゃあ捨てました。それで、じゃあ何か書けるかというと、やっぱり別に何も書けないといえば書けない。書く事とか、とくにないし。っていうか、まあそれもうそで、書く事はある。普通に。昨日とか、昨日は新宿御苑にいたし。そのことを書けばいいじゃん。夜遅くまで飲んでて、それで今日はずっと家でごろごろしてた。夕方からまた出かけて、それでまた飲んだ。ピザとかとで、ワインのボトル半額だったので一本空けた。夏野菜スペシャルだったね。そのことも書くか。昨日も今日もちょっと飲みすぎ。でも面白かった。日中は疲れてぐったりしてるだけ。休みでだらだらしていて大層な結構なご身分だこと。まあそういう事でいい加減なきもちでぐいぐい書けば書いていいのだ。そういうこと以外の何かを書きたがってるという、その気持ちもわからないではないけれど。


昨日は写生をした。美術部をやってるので。今回で三回目の会合だ。野外スケッチ大会の開催である。そういうことをするのは一体何年ぶりなのか。いやはじめてかも。写生した。新宿御苑で、皆で集まって。すさまじい光の洪水の中、空の青と光の粒立ちと木々の葉の大量に生い茂って揺れ動くありさまを描いた。時間があまりなかったので正味一時間強。ぜんぜん何でもないまだ全然密度もなにもないつまらない絵が数枚できただけだったが、それでもかなり面白かった。


高校生のときは異常に真剣に絵のことを考えていたのだ。本人は異常に真剣だけど、周りから見たら単なる妙に思い詰めた変な高校生に過ぎないだろうと思う。僕は絵を描くというのは要するに人間を描かないと、と思っていて、人間のその場にいることのリアリティというか、自分というものすごい強固な膜の内側と外側にいる全然無関係な人との、その接点というかなんというか…まあ今その感じを言葉にする事自体まったく意味が無い。言葉で説明できるものではない。ほとんどニュアンスというか、思い込みでしかないのだ。そういうのを全開にして毎日好きなだけ思い悩んでいたわけだ。


でも、今思い返せばあの頃、僕の周囲にいた人々は皆優しかったな。よくそっとしておいてくれたものだよなあと思う。呆れたり困ったりした人も多かったろうと思うけど、皆本当に寛大だった。笑って許してくれた。あるいは忘れてくれたのだ。そういうのこそが、紳士的優しさということだろうな。僕は高校生当時、紳士たちに囲まれていたようなものかもしれぬ。


赤の他人すら、優しかった。そうとしか言えない。僕は駅のホームで見知らぬ女性にいきなり「美術をやっている者だ。人を描くことをやらなければいけないのだ。もし良かったらあなたの写真を撮らせてほしい。その写真を見て僕は絵を描くのだ」とか言って、呆気にとられているその女性にカメラを向けて写真を撮ったりした事さえあるのだ。ほとんど警察沙汰というか、ただの変態ではないかと思うし、実際に変態と見分けがつかないような存在だったろうが、今思い返してもその女性はすごい寛容な人で、やや困った顔をしながらもカメラを向けた僕に対して、やや困ったようなしぐさで、それでも笑いを堪えるような顔で、身体全体をぎゅっと固くしたまま、ただ僕がシャッターを切り続けるのをじっと待っていてくれたのだった。撮影の終わった僕がありがとうございましたと告げると、その人は僕の顔も水にペコリと会釈をして、そのまま何事もなかったように下を向いたままだったのだった。


僕なんかは本当にそうやって、思い込みだけで人に迷惑をかけたりして、そのくせいい加減で適当な高校生であって、その写真も結局、そのまま現像に出すことも無くフィルム自体どっかへ失くしてしまったりして、今思い返しても実にもったいないというか、阿呆らしいというか、人の好意を何と思っているのかとも思う。でもこうして、さんざんカネとか時間を浪費して、人の好意や易しさや愛に満ち溢れた無関心を最大限に利用して、そうやって自分の思いこんだ何かを続けていくということの、何ともかなしくなるような懐かしさ、そのありがたさ、せつない心のあたたかみのようなものって、あるよねえと思った。


そんな事は別にまあ、どうでもいいのだけれど、真夏の盛りの新宿御苑に日中ずっといて、熱射病にならなかったか、身体的に如何ほどのダメージだったのか?という点についてだが、これは僕もさすがに、かなりの用心をして現地に行った。水は1.5リットル持参して、タオルやらなにやら、Kさんは梅干をもってきたし、皆ちゃんと暑さ対策はして現地集合したのだ。ところが、実際のところ、木陰とか日陰に入って、ベンチに腰掛けている分には、暑さなどまるで、なんということもないのである。これには驚いた。時折すーっと涼しい風が吹き抜けさえして、座っているとそれまでの全身の汗が乾いていくほどの快適さである。熱中症になどなりようもない。快適に昼寝してしまえて、目覚めたら全身がさらさらのすべすべであってもおかしくはないだろう。こうして我々はあらためてつくづく、都会のアスファルトとビルに囲まれた場所で暑い暑いと騒いでいることの馬鹿馬鹿しさを感じさせられたのだ。


御苑は四時半で閉園なので、あの後公園を出てから四時半くらいから飲み始めた。ビールを一瞬で飲み干し、そのあと素晴らしいフローラル系の香り濃厚なワインが、目の覚めるような美味さだった。冷やされた液体をたたえたワイングラスは表面に微小な水滴をまとい真っ白な汗をかいている。あーこれうまいねえと言って、実はこのあたり飲み屋の密集している新宿要通りだが、僕は結婚前の十年以上前は、週末になると必ずこの界隈で朝まで飲んでいたものだ。なのでこのあたりはいつも常に懐かしい感じがある。店も当時と変わってないところも少なくないが、でもなぜか今更入りたいとは思わない。なんだか怖いというか、もう今更あそこに行くとか、それはないだろーというのが思う。実際、もし行って、カウンターの向こうに当時と同じ人がいたりしたら恐怖で叫ぶかもしれない。なのでまったく別の店ばかりに行く。まあまだ時間が早いのでほとんどの店は準備中でシャッターが閉まっているし、新しくてやる気のある店だけが早くから客を呼び込んでいる。人通りもこれから多くなってくるはず。


二軒目の店でみんなの描いたのを品評会した。みんなすごく良くて、僕はけっこう感激した。なんで絵って、こういう風に皆の固有の現れであると共に、太古の延々つづいてきた営みの一端でもあるような、そういう在り方としてあらわれるのだろうか。本当に不思議。もう普通に感動的。それで、じゃあ食べようよ。おなかすいてる人さあどんどん注文しなよ、という事になって、どんどん注文した。三軒目の店はキャッチの男の子にKさんがじゃあいいよと言ってそこに言ったら、どうせ絶対大したことないチャチな店だろうと思ったが、まあ立派な店じゃないにせよ、安普請ながらも最近の現代安普請の技術力ってすげえなあと感心するような内装の店で、ふんぞり返れるようないい感じのソファーでだらだらと夜遅くまで飲んだ。注文を聞きに来た男の子が行ってから、KさんやSさんが、今の子すごいイケメンだったと言うので、ああ確かにそうだったかもしれないと思った。やっぱ自分の場合男だから、ふいに現れた子がイケメンかどうかを瞬時にわかる感覚が鈍いのだと思った。二回目来たときあらためて見たら、たしかにイケメンで、すごい面の皮の薄そうな感じで、鼻筋がすーっときれいな子だった。やっぱ、新宿は深くていいよね、ここビルの七階だけど、なんか深い感じするよねと言って、ムービーでゆっくりパンしてみんなを撮った。そのあとすぐテーブルの上でみんなで見て、その後すぐ消した。