「秋津温泉」


秋津温泉 [DVD]


DVDにて。冒頭からどのシーンも非常に手間が掛かっていて、かつ美しい撮影で、戦時下の田舎の温泉宿の感じとかが非常に生々しい。敵機の飛行機雲が見え警報が鳴り、空襲を恐れて汽車の荷台に居た乗客がさーっと蜘蛛の子を散らすように汽車を降りて田園を走って逃げていくが、長門裕之は肺を病んで生きる事に絶望してる学生なので逃げずにその場にぼーっとしている。


この長門裕之と温泉宿の女将となる岡田茉莉子との不倫話である。長門が如何にもな感じで退廃学生→無頼文士→高度成長期会社員へと戦後日本と共に変貌していくのに比して、温泉宿の岡田はまったく変化のない、長門との記憶だけに生きるかのような存在として在り続ける。長門は映画の中で、3年とか5年とかの間隔を空けて何度か岡田の元を訪れ、その度ごとに二人がそこで離れたり近づいたり体をぶつけ合うような勢いで抱き合ったりしつつドロドロとメロドラマするのだが、一見あまりにも男に都合の良過ぎるとしか思えない関係なので、社会における男女間フェアネスとかを早々に忘れないと楽しめない。ここでは岡田茉莉子長門裕之が温泉に訪れる事で毎回毎回はじめて起動するプログラムみたいな存在である。で、起動するとどういう動きをするのか?というのがこの映画の面白さである。あとは温泉宿自体の素晴らしさだ。この宿の玄関や部屋の様子など、実に素晴らしい。泊まってみたいなあ、という感じ。


実際、一度でいいからこんな目に会いたいと思うほど長門は岡田に厚遇される。何年たっても、久々にふらっと訪れてもである。岡田は長門が来ると、もう嬉しくて嬉しくて、草履を脱いで足袋のまま水に足をつけ、そのまま川の浅瀬を渡ってしまったり、雪で真っ白の地面を、草履を脱ぎ足袋のまま駆けて旅館まで戻ったりしてしまうのである。


しかし、敗戦から十年もすれば、もうさすがに互いの顔に昔の若さが消えているのを確認することにもなるだろう。かつての青臭さを失ってしまった喪失感と微かな安堵を感じもするだろう。…というか、そういう状況でも、女性というのはますます美しくなっているような事が往々にしてあるのだろうけど、岡田茉莉子もそうで(そういう役柄として見事に芝居してるので)少し年を重ねて、以前よりも深い色の着物でゆったりとした身のこなしで、成熟した女性の香りを漂わせつつ、変わらぬもてなしで長門に接するのだ。っていうか17歳で出会って17年間の話だから、岡田さんの女将は最後の段階でもまだ34歳かよ!そりゃ老成しすぎです。


…こうして長門は何年たってもいつ行っても変わらぬ厚遇を受ける。お前の実家かよ?とか云いたくなる程だ。(というか、まあそういう感じもある。常に引き戻されてしまうような場…変わってゆく長門に対して、岡田とか秋津温泉のあの宿が、何か甘美でもあり怖くもあるような何かを象徴しているようにも感じられるのだけれど)長門は必ずふらっと訪れて、ふらっと居なくなってしまうのだが、何度目かのときに岡田茉莉子が立ち去る長門を追いかける。すぐタクシーを呼ばせバスの停留所まで駆けつけ発車しようとするバスを止めて乗り込み、後部座席までつかつかと歩いていって長門の隣に座る。…こんな粋な柄の着物を召した姐さんにタクシーで追っかけられて衆目の中バスの中で捕まるというのは、たぶん男冥利に尽きる事態であろう。ってかまあ、モテル男ってのはきっと、こんな風にとことんモテルんでしょうね。結構な事ですわ。


それはともかく全編通じて、すさまじい映像のキレイさ。映像美!っていうんですか?むそれを観てるだけでOKという感じである。…実際、並んで歩く二人をゆるゆると移動カメラが追いかけるというのは良いものだ。二人と共に景色も流れ移り変わっていく。杭が打ち込まれている道なら、杭が右から左へとどんどん流れていくのを観ているだけなのだし、大きな岩つたいに川辺まで向かうでであれば遠景で色づき風にそよぐ森林を観てるだけだ。こういうのを延々見せてくれる映画は、もう大体悪くないのではないかと思う。満開の桜も鬱蒼と茂った茂みの闇中に点々と光る赤い椿もキレイだ。。これで会う事もないだろうと告げるときの宿部屋に差し込む日の肌寒いような白く飛んだ光線や反射の美しさとか、ガラス入りの細長い格子状の襖を使った、グリッドに分割されたガラス越しの岡田茉莉子とか、窓際の細長いスペースで、ガラスに自分らを写り込ませた複雑で美しい構図のショットなんかも恐ろしくキレイ。でもラストで、手首を刃物で切るっていうのは、僕は個人的にはちょっと嫌。だって痛そうだし。ああいうのは勘弁してくれという感じだ。痛そうなのは苦手である。まあ、最後、ぎゃー!と、まるで犬猫とか小動物のように最後の悲鳴を上げて死んじゃうなんていうのは、ちょっと可愛いとは思うが。