「長江哀歌」


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日比谷シャンテにて。…ものすごい映画であった。冒頭のあの豊饒な暗さを含んだ労働者の群集をカメラがぐるーっとパンしつつ捉えるファーストショットで、とんでもない作品だと思った。で、常識を遥かに越えた様な高さに架かっている橋のちょっと下に、監督名がクレジットされて、作り手の圧倒的な自負心というか自信を見せ付けられるような気がした。。何というか、何事かをイメージして、かたちにしようと思い立ったときのやり方として、結果的にこういうシロモノを作り上げてしまう事自体に驚き打ちのめされる。


ほんの些細な、どうでも良いような事に一々驚き、鳥肌がたつような思いにさせられる。あるいは遠景のビルの壁がすーっと倒れたりとか、タバコ、酒、お茶、飴…それぞれとか、クソガキが情感たっぷりで歌うつまらないラブソングとか(笑った)瓦礫の山の向こうから夢のように宇宙服みたいな全身真っ白の消毒噴霧器を背負った連中がぬっと現れたり、女の買わないか?といって、向こうの壊れかけたベランダに4人がすーっと並んだり、ペットボトルの水を汲んで、口に含んで飲んだり…ペットボトルの水を飲む、どという行為のどこが、それほど映画的な魅力になり得るのだろう??でも魅力があるとしか云いようがないのだ!!


「三峡」と呼ばれる場所について、この映画ではじめて知った。しかしこの映画は「三峡」と呼ばれる場所についての映画である事は確かだが、その場所に対して行われている行政政策とかその影響とか、そういう事について現実的に考える事ができないような映画である。かといって「沈める町」の儚いロマンティシズムに浸る事や、何かの象徴とか隠喩を読み取る事もできない映画である。


…誤解を恐れず云えばこの映画の舞台となっている破壊や崩落の只中で生きている貧しい労働者と住民たちすべてが、恐ろしく輝かしく天国的といって良い程の艶やかさで動き回っているのである。厳しい状況にもへこたれず頑張っているのが良いとかそういう阿呆な話ではなく、もう只そこに居るだけで素晴らしいのである。起こっている事すべてが(表層的には非常に辛い話だが)圧倒的なパワーに満ちている。バカな言葉だろうが、単純に、生きる希望と勇気が猛烈に沸く。俺も気合入れて頑張ろうとか思ってしまう。。という訳で僕には、これら全てが、もはや喜びの表現としか思えない。そうなると結局何もかも肯定という事になってしまうではないか。…それにすごく複雑な思いを感じながらも、映画自体はこれはもう、完全に最高のユートピアのような世界としか思えないのである。…とにかくこの映画をこのように作った事のとんでもないフトコロの深さというか自分を信じている力強さとか、媒体を信じきってる力強さとかに圧倒された。


…うーーん、まあ今の僕にはとりあえず、これをこれ以上上手く言い表すのは無理である。というか、これはもう、こういうものがこの世の中にはまだ沢山あるのだから、とにかくもう骨の隋まで味わって、これに限らず散々食い散らかしてやって、贅沢の限りを尽くすしかないと思わされる。それがこのとんでもなくハイクオリティな作品を前にして可能な最大にして唯一の「お返し」というか「復讐」であろう。


正直、無理矢理言えば、あんな風にどう撮影したって絵になるようなロケ現場だからそれがいいんだろう、とか云いたくなるところもあるし、そういうのってやり過ぎじゃないの?とか云ってみたい衝動に駆られる箇所もある。でもまあ、それは云う側の薄っぺらさしかあらわさないだろう。だから黙っとく。…というか、こうやって何か感想文を書くのが嫌になる。だからもう時間掛けずに適当に書き飛ばしてるが、多分仮に2時間とか3時間かけて書いてもうまく書けない事も予想できる。


あと、音が素晴らしかった。雑踏から聴こえてくる歌謡曲が、あれほど美しいものだとは知らなかった。携帯の呼び出し音も着メロもそうだ。…今更つまらない事を書くけど、やっぱ映画館で映画を観るのは大事だ。少なくとも音響というヤツに関しては大違いだ。


まあ、こうやってダラダラ書いてても終わらない。あのダンスするシーンとか、橋のイルミネーション付くんだろうなあと思ってたら案の定付いたりとか、そういうのを一々思い出すだけで今でも泣きそうになってくる。