ポール・トーマス・アンダーソンの「ブギー・ナイツ」をDVDで。これは、公開当時も観たけど、当時はどこが面白いのかさっぱりわからなかった。というか、正確に言うと、さっぱりわからないわけでもないけど、でも笑えないというか、笑うほど観ている自分の問題に感じられないしなあ…という感じに思った。


で、十何年ぶりかに久々に観て、そしたらまあ、この年になったからというのが大きいのだと思うけど、たしかにこれは二時間半もあるのにずーっと面白くて、主人公を演じたマーク・ウォルバーグがまずとても良くて、勿論バート・レイノルズは素晴らしくて、ジュリアン・ムーアフィリップ・シーモア・ホフマンも、奥さんを殺してしまうリトル・ビルも、みんな最強に素晴らしい。ダラダラ、グダグダと続くパーティーのシーンもいい。後半は色々あるけど、最後はしみじみさせて、バートレイノルズの背中越しに、ずーっとカメラが追いかけていくところで感動していまうという、そんな、かなり楽しくて幸せで、身におぼえの無いノスタルジーというか感傷みたいなものに浸れるというのか。でも、如何にも十何年前の映画だなと感じたりもした。如何にも昔っぽいポルノ的なシーンが映画内で再現されたりするが、あー、こういうのって、あったよなあとは思った。でもたぶん僕自身が過去にそういうポルノをたくさん観ていたわけではないので、なぜそんな、無い筈の記憶が生まれてくるのかは謎。


ここからは昔話…というか、僕はその手の話を語れるような知識は、人並み以下しか持ち合わせていないが、映画の中でも言及されているけど八十年代中盤から後半以降で、ビデオ産業が隆盛をきわめて、レンタルビデオ店も大量にできて、ポルノ映画はアダルトビデオの時代に変わっていったわけだが、ちょうどその頃、つまり僕が中学から高校一年生くらいまでは、色々な町の駅前とか、駅から少し離れた場所とかに、わりと普通にポルノ映画館というのはあって、そういうところでは国内/国外のポルノを三本立くらいで上映していたわけだ。で、そういう映画というのは、もし観るとしたら、それを見る理由はもちろん、雑誌ぴあでいうところの、ワイセツな気分を楽しみたいため、となるわけだが、しかしその当時記憶にある特に洋物ポルノというのは、その映画としての作りの、驚くべき杜撰さ、いい加減さ、子供以下の知性が考えたとしか思えないストーリーによって構成された、ほとんど映画のハリボテというか、映画の皮をかぶったお化け、というか、なにしろとんでもなく詐欺的でいい加減で、調子のよさと口先だけの、得体の知れぬふざけたもので、そんなものを観ていると、さすがの若き高校生である自分も、あまりのいいかげんさに、空いた口がふさがらないというか、ある種呆然とするというのか、そのまま全身が地面の下に落ちていくような、乾ききった絶望、とでも云いたくなるような感触に囚われ、何とも虚無的な、ほんとうに砂を噛む思いをまざまざと感じたのを、今もかすかにおぼえていなくも無い。いや、ほんとうにそのときに観た洋物ポルノというのは、映画としてはゴミ同然、いやもっと何とか正確に、それとは違う云い方をしたいけど出来ないような、本当にどうしようもないものに思えて、でも、ああいうのに心底虚無を感じたりした自分は、それでも相対的にはまだ、かなりウブな類の人間だったのだろう。世の中にはそれこそ、ああいう虚無そのものが、大好きというか、それこそを好み、砂を噛むような嫌な記憶ばかりを、あえて収集したがるような人間が、思いのほかいっぱいいるのだという事実を僕が知ったのは、それから相当何年も経ってからのことである。