「小早川家の秋」


小早川家の秋 [DVD]


「滅びゆく旧き物」の感じ、「時代は変わる」みたいな意味を感じさせようという意志が、いつもの小津作品よりやや強めに感じられる気がする。息の詰まるような重めかしい雰囲気。小早川家の造り酒屋の雰囲気とか家族の雰囲気が…という事じゃなくて、映画全体から漂うものが、薄っすらとそういう重いものをまとっている気がする。全員が関西弁を話す映画でありながら、会話のテンポ感とかスピーディさはほとんど感じられない。まあ、それは当然で、小津的な「切り返し」による会話では、そういう流れはありえないだろうけど。でも例えば本作での中村雁治郎と浪花千栄子の会話のシーンなんかでは、本当なら異様としか云いようのない不自然さが激しく露出しているように思う。


この映画の中でもっとも激しく動き回る人物は中村雁治郎だろうが、あの上半身をほとんど動かさずにヒタヒタと小走りする歩き方。着物の裾をさっとまくってステテコ姿をさらし、拭き掃除を手伝うとか、あるいは孫との遊びに付き合い、キャッチボールをする際の投球フォームのかっこ悪さとかは感動的ですらあるが、しかし沢山の素敵なアクションを見せてくれるこの爺さんこそが、この映画の「滅び行く旧き物」の象徴なのであるから、物語が進むにつれて、雰囲気が絶望的なまでの暗さに包まれていくのも当然の事なのだろう。この映画のラストでは「好き放題やりたい事をやって死んだ」ひとりの老人が弔われているだけではなくて、もっと大きな長らく安定して続いてきた何かが、崩れて手荒に弔われ、火葬場の煙に晒されているのだ。…しかしそれは何か曖昧なぼやっとした悪い予感のようなものとしてしか、観ている者には感じられないのだが。。それは例えば、執拗に捉えられるカラスの姿などによってもそうだろうし、そもそも、どうも得たいの知れない不気味さの漂う、浪花千栄子と団令子の親子の様子の、そのあたりから受ける印象なのだが。(杉村春子が死者に対して失敬な口を聞くのはあの共同体の中ではまったく問題にならない。というか杉村春子には同族としての、死者を弔って泣いたり半分冗談にして笑ったり、その後忙殺されてそのことを忘れたりする権利がある。それを支える構造がある。しかし、浪花千栄子と団令子を支える構造はない。悲しくもないし、涙も出ないし、ミンクのストールをもらい損ねた事も、そのものの、ぞっとするような事実として口にされるだけなのだ。)…成瀬映画なんかでも数本観たけど、団令子ってほんとうに「ヒール役」が多い女優だ。なんかある意味、一番損な悪役かもしれないなあ。


登場人物の中でもっとも魅力的なのは新珠三千代だと思う。これは「宗方姉妹」における田中絹代を極めて魅力的に感じるのと同様なのだろう。ロクでもないことばかりにうつつを抜かす者共に対して、あぁやれやれと息をついている女性ほど魅力的なものもないという事か。