「夕陽のギャングたち」


夕陽のギャングたち 完全版 [DVD]


「…革命とは暴力である 」毛沢東の言葉が引用され西部劇らしからぬ始まり方で幕をあける。木の幹にびっしりと貼り付く蟻の群れが、浴びせかけられて勢いよく泡立つ小便に溺れて流されていく。70年代の映画特有の汚わいと悪臭と陰湿がこれからはじまる事を告げるかのような、おぞましき容赦のない液体の流れのクローズアップを延々見つめる。


しかし無茶苦茶面白かった。でもものすごく変な映画である。相手に取り入ろうとしてへりくだる顔のアップ、軽蔑して見下した顔のアップ、悪態をつく口元のアップ、モノを食い、咀嚼する唇のアップ…全部がアップで、しかも2分でも3分でも映し続ける。大げさかもしれないが、結構観続けてるとあたまがおかしくなりそうである。エンニオモリコーネの音楽も…確かに良いのだが…これはやはり「奇怪」と云った方が正確だろう。まあしかし、それらをひっくるめて総じて、これらの鑑賞が最高の体験だという事は間違いない。


金持ちから強奪したり洋服を剥ぎ取って自分が着たりするのが普通に行われるのが西部劇だから、ああいう風に青空の下の砂漠の真ん中にいきなり唐突にヨーロッパ調の家具が置かれて、そこに荒くれ盗賊の連中が座っているような瞬間があらわれる。馬車を襲い、乗っていた金持ち連中を引き摺り下ろして女は強姦し男は身包み剥いで全裸で砂漠に放り出す。さっきまで高慢の塊のような態度でいた金持ちは数秒後にこめかみに赤い穴を空けて地面にうち捨てられ、お高く止まっていた筈の貴婦人は唖然と硬直したまま性欲処理に引き摺り回され、あるいは体中にニトログリセリン入りの瓶を貼り付けてるような訳のわからないヤツがいきなりバイクに跨って登場してきたりもするし、仲間になるのか殺すのか逆に殺されるのかをあっという間に明るみに出して、その後の運命を変えてしまう。なんとも馬鹿馬鹿しくも幸福な世界。


しかし本作ではそういう西部劇の空間が物語の展開につれ少しずつ翳り、画面上で起こる全てのアクションがやがて、「革命」と呼ばれる闘争へと変貌していく。革命とは何か?それは何か妙に観念的な言葉で、そえれでもこの世界にはどうやら色々ややこしい問題があるらしく、只の盗賊稼業をやっている訳にもいかないのだという事に、単なる粗野な盗賊のロッド・スタイガーは気付いているのかいないのか…しかし劇中、執拗に繰り返される反政府分子の銃殺処刑のシーンを観たら、さすがにもう幸福な西部劇の世界に戻りたいという願いが許されるとは思えないだろう。悩むのは観客も映画内の二人の主人公も同じで、本来は金とか銀行とかアメリカと呼ばれるものへの期待だけが心の支えであるロッド・スタイガーは、なし崩し的に革命闘争に参加する過程で、たまたま英雄に祭り上げられてしまうのだが、民衆からちやほやされてもその事にまったく無頓着で、そんな事よりジェームズ・コバーンと二人でアメリカにおいて一旗上げたいとしか思っていない。政権がどうだろうが体制がなんだろうが、そんな事知るか。俺の人生と何の関係があるの?という感じである。しかしその後、一緒に盗賊稼業を続けてきた子供たちが皆殺しにされてしまう事でかけがえのないものをなくし、激しい喪失感に襲われてしまう。もう西部的の登場人物をやれるモチベーションなんて残ってないと云わんばかりの態度にすらなるのだけれど、それでもそんな荒廃した心の片隅で一縷の望みを託す相手がジェームス・コバーンなのだ。


ここでのジェームス・コバーンはもう圧倒的にカッコ良すぎである。何しろあの白いロングコートが最高だし、思い出したようにゲラゲラと前歯を剥き出して笑い出すときのあの表情とかも最高である。投げやりなようでもあり意志に貫かれているようでもあり死に場所を探し続けているようでもあるその佇まいが素晴らしい。この人はおそらくロッド・スタイガーよりは「革命」とかそういうものについて何か信じており、それを男が一生を賭けるに値するもの、と思ってるようなフシもある。それが匂うのだ。しかしながらそれと同時にもっと退廃したマニア的な爆弾やニトロ化合そのものの魅力に骨の髄まで喰い尽されているような、爆弾中毒者のようなヤバさも併せ持つのだ。…これぞ西部劇の登場人物、といった感じで、こういうヤツじゃないと西部劇なんてもたないのだ。でもこういう奴がどの程度まで生き残れるのか?生き残れないとしたらその条件は何なのか??…というか、生き残れないと思う方が観念に冒されているのかもしれないじゃないか?本当にどっちが「正しい」か?…っていうかその「正しさ」なんて何だと言うのか??


…最高のキャラであるジェームス・コバーンはもちろん最期に殺される。西部劇の登場人物にかろうじてつながっていたロッド・スタイガーはあまりのショックに呆然とするしかない。俺はこれからどうすればいいの??何度目かのクローズアップ。デカイ顔のアップが制止してそのままエンドクレジット。セルジオ・レオーネお得意のパターンだ。