録音


アナログレコードからPCに音を取り込んでいると、昔カセットテープに録音していた時代の事を思い出す。レコードをかけて、同時に録音ボタンを押して、音楽が終わったら、停止を押すという、あの一連の操作。今では考えられないような操作だ。今は、音楽を「1ファイル」として、ひとつの塊としてモニタ上で触れるんだから驚きだ。っていうかそれもデジタル的な錯覚なのだが。


昔の、音楽の録音というのは、その音楽が鳴っている時間を端から端まで、ややゆとりを含んだまま大雑把に切り取って保持する、という感じだった。だから、カセットテープは必ず、まず始めに録音開始された事が感じられるような幽かな衝撃音があって、その後しばらく、長いときで数秒くらいのブランク(というかサーっというヒスノイズ)の時間を挟んで、その後ようやく音楽が始まり、音楽が終わった後も、しばらくサーっというヒスノイズがまた戻ってきて、そして最後にブツッと録音の途切れる音がしたものだ。音楽、だけではなくて、これだけのものが全部一緒くたに収められた。それが、録音という事だったのだ。録音されたものを聴くというのは、それら全てをもう一度体験する、という事でもあった。避けがたく、そうだったのだ。それは音楽と共に、その音楽が要請されたときのシチュエーションというか文脈や経緯までもが丸ごと再来してしまうようなものだった。


だから、そもそも再生ボタンを押したとき、いきなり音楽が流れ出すという今の状況は、昔とは全然違う状況なのだ。良いとか悪いとかではなく、違うということだ。ただ、昔の録音物が含有していたあの感じは、今は確実に失われたのだとは思う。音楽がかつてもっていたある要素が、今はほぼ消失してしまったのだ。それは、再生ボタンが押されたら、録音されたかつての時間が、いやがおうにも蘇って来てしまうような感触の事で、ある意味それは不自由さに属する何かなのだが、でもそれも確実に音楽の要素ではあった。


要するに、今の音楽から失われたものは「録音」だ。今のデジタル音楽に「録音」という概念は無いのだ。っていうか、そんなの当たり前の事か!誰でもわかっているわ。


昔のカセットテープに録音していた時代の録音は、映画の撮影みたいなものである。ヨーイ、スタート!からカット!までの間の、張り詰めた緊張が録音時間の中にあるのだ。それを録音しているときのリアルタイムの緊張と、これが将来編集されたらどのような結果になるのかを予測するときの緊張が、同時に並行して走っているような、たった今の、目の前のものを見ると同時に、後々の事も見ているかのよう案、そういう時間なのだ。それに較べるといまは全部フルCGで作ってるようなものかもしれない。目の前のものは、同時にかつてのものでもあり得るし将来のものでもあり得るようなのが、今である。不可逆的に異なる時間が、無理やりつなぎ合わされてたときの感触が、希薄になったという事か。…結局デジタルというのは流通革命で、場所とか時間の驚くべき短縮を実現したので、異なる時間、異なる場所をひとつにつなぎ合わせる事のショックを内側に抱え込んでいるような表現というのは、例外なくデジタルから強い干渉というか影響を受けざるを得ないという事か。