死の雰囲気、というか気分。ライフスタイル


昨年の12月20日を過ぎたあたりで、青島幸男氏が亡くなったとの記事。女優の岸田今日子が亡くなったとの記事も同日の同じ紙面に掲載されていた。その数日後、死刑囚4人に対して死刑執行が行われたとの記事が掲載されていて、さらにその翌日、ジェームスブラウンが亡くなったとの記事が掲載されていた。そして30日にサダムフセイン処刑との記事が掲載されていた。いずれも僕自身の、ばたばたと慌しい毎日の上を通り過ぎていった情報であったのだが、ああなんだか、死の雰囲気が濃い感じ。というか、気分だなあ。と感じていたような記憶がある。


合計8名のうち「著名人」が3名、「犯罪者」が5名(内、1名は「著名人かつ犯罪者」)。死因に関しては、「著名人」は病死であり、「犯罪者」は刑死である。…などと、こうして並べて記載しても何の意味もないのであるが、とにかく自分が何度でも確認しなければならない事は、目の前にある現実の空間に自分とか他の人がいることの圧倒的な独自の重さというか、そういう事である。それは気持ちを持ち続けていないと、すぐ手から滑り落ちて、どこかに消え去ってしまうので、そういう事に敏感でいたい。などと何度でも思いたい。


面白い文章を読んだりしたときは、全身の血液が入れ替わったような、湧き上がって来るような気持ちのよい精神的快感がある。まあこんな事ばっかり書いてると(すぐ身体的快楽に例えると)なんか肉体派な人っぽいのでアレだが、まあ普段の生活というのは歩いたり立ったり座ったりしているので、モノの考え方もそういうのと切り離せないのだから、やはり精神的快感は大事なのだろう。そういう活力が、自らの「ライフスタイル」を支えるのだ。


「ライフスタイル」は、自らチョイスした「スタイル」である。つまり如何なるチョイスであれ既存のフレームな訳だが、誰でも最初はすべて、そこからしか始められない。しかし、そのうち突出した能力をもつ特異な一部の勢力が現れる。その勢力はスタイルを食い破るだろう。あたかもミツバチが刺すような…。あたかも自分の描いたイメージに興奮してしまい、描画が継続できなくなってしまう愚かな漫画家のような…。ミツバチは刺したら死んでしまうのだが、いつか、死なないミツバチも現れるかもしれない。…とこれは単なる妄想。