「続・荒野の用心棒」


続 荒野の用心棒 [DVD]


CS放映されたのを録画したものを観る。もちろん最初から、これが所謂マカロニウエスタンと呼ばれたジャンルの映画である事をわかって観ているので、どれほど陰鬱であろうが残酷であろうがあまり驚かない。というか残虐描写であるとか恐怖シーンとかの、ある種のショックを感じさせるイメージというものは結構、見せる技術とか、それを感じるときの背景にある空気とか社会の雰囲気とか、そういうものに依存せざるを得ないところがあると思う。これは風俗やファッションとかを作品内に取り入れるのと基本的には変わりない難しさかもしれない。


なので、いくら耳たぶが切り取られて口内に押し込まれようが両手をズタズタにされようが、この臆病な僕でもさほど嫌な気分にならず眺めていられる。で、同時に、この映画とか当時のいろんなウエスタンやらアクションやらが、その後映画マニアな人々によって徹底的にサンプリングされカットアップされて、使えるところはみんな取り外されて、彼らの作品にとって血となり肉となり肥しとなって、多様に広がっていったのだろうというのもまざまざと感じさせる。…何というか、もう所々を飢えた虫に食われて食われて穴だらけになった果物を観てるような感じすらある。


しかしこの、爽やかさを徹底的に廃したダークネスと陰湿な粘つく空気の感触だけは素晴らしい。この、言葉に言いあらわし難いような、映画が始まって1分くらいで次第にじわじわとまといつくかのようなある種の空気の感触というのが、こういうのだけが、何十年たっても古びないのかもしれない。自らすすんで、わざと刑罰を受けているかのような格好で、棺桶に紐を付けてずるずると引き摺りながらどこまでも歩いていくフランコ・ネロの表情と黒づくめの服装…ブルーグレーのマフラーの冷たい鮮やかさ。そのほか、モノトーンに近い冷え切った世界で色らしい色が目に入るのは、酒場の片隅で客を待つ娼婦たちの粗末なくすんだ衣装の柄くらいか、あとは人種差別主義者である南軍のトレード・カラーが目に痛いほど鮮やかな赤で…。鮮血が染み込んでいるかのようなマフラーを首に巻いた冷血漢そのもののエドゥアルド・ファヤルド(素晴らしい悪人面)。…季節はおそらく冬で、空は晴れているものの、町は冷たい湿気を含んだ重々しい雰囲気に包まれており、地面は足首までずぶずぶと嵌るような深いぬかるみが一面に広がっており、全身に跳ね飛んだ泥の飛沫が散り、そのまま寒風に晒されて乾燥してボロボロと崩れ落ちる。そのような場で貧しいメキシコ人たちが暇つぶしの狩猟ゲームのエサにされ、順々に全力疾走を強要されて、その走り去る後姿をライフル銃で次々と狙撃されていく…


この映画の主人公であるフランコ・ネロはもう、圧倒的に強くて桁違いなのだ。既に勝負は見えている。それはもう確定済みなのだ。最後とか、お前それはないだろう、と云いたくなるくらいである。だからもう最初からわかっているのだけれどエドゥアルド・ファヤルドは映画の最後で必ず殺されるだろう。というか、冒頭でいきなり手下を皆殺しにされて、完全に勝負が「詰んでいる」のだが、それだと開始15分で「FINE」となってしまうので、それだと困るのでネロはあえて云うのだ。「お前に一度だけチャンスをやるよ、お前には何人、子分がいるんだ?お前の飼ってる豚だよ。」「…四十人だ…」「そうか、じゃあそいつらを全員引き連れて来い。お前の四十匹の豚共をな。話はそれからだ。」…こうしてファヤルドは命拾いをし、やがてぞろぞろとやって来たツワモノとファヤルドに対して、ネロは独りで立ち向かう。あの鈍重な棺桶を引き摺りながら!


…しかしあの棺桶は一体何だ??相棒の死骸?かつての恋人?または自分がいつかそこに入る為なのか?…しかしそうではない。迫り来る豚共の前で、棺桶の蓋がゆっくりと開けられるだろう。。…そして次の瞬間である、幾多の修羅場を潜り抜け徹底的に使い古されて黒光りする勃起した陰茎のようなぶっといガトリング砲が猛り狂い、咆哮するのは!!!!