「Complete Live At The Pluggednickel 1965」Miles Davis


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このコンプリートボックスを買ったのは1992年の事である。発売されてすぐ購入したのだ。一万五千円だった。もう15年以上前だ。雑誌かなんかにそれが良いと書かれていたから高い金出して買ったのだけれど、聴いても正直良いとは思わなかった。というか理解できなかった。で、今でもそれが良いとはたぶん思っていない。そこには、すさまじい緊張感とテンションが横溢している、という事はわかる。それは聴けば誰でも感じる事だろう。…しかし緊張感とかテンションが、なぜ音楽の魅力なのか?考えてみると不思議じゃないですか?…当時は僕も生真面目だったので、わからないものをわからないままに、何度も何度も反復して聴いたのである。そのため今になっても演奏の細部がかなり記憶に残存しているくらいなのだが、まあそれを久々に引っ張り出して聴いていたのです。


モダンジャズというのの面白さは、特に60年代のもう瓦解寸前のジャズの面白さというのは格別なものがあって、とにかくどこまでも過激に、どこまでも先鋭的になってしまって構わない、という思いを演奏者達が共有したという事で、このまま行けば道が先細りして行く末は崖の下じゃないか?という心配などまったくせず、一刻も早く既成の枠をぶち壊してしまいたいという単純な欲望だけに突き動かされているようなところにあるのかもしれない。既成の枠組みを瓦解させる、などと一口に云うのは実に簡単である。しかし普通に考えればそれがどれほど難しいことかなんて誰でもわかる。単に俺に関係ないという態度でムチャクチャやれば済む話ではない。それに挑戦する具体的な手段とは、子供じみたパフォーマンスとかふてぶてしい反抗的態度とかではなくて、むしろどこまでも枠組みに忠実な、今までの行為を何度でも何度でも反復させて、その意味内容が剥離・揮発してしまうまで徹底的にグルグル回しまくる事でしかない。


4ビートが刻まれる場合、リズムの肝である「裏」の一点はが可聴下になくて、裏の裏つまり「表」でチーチッチ・チーチッチ…と軽快にスイングしているものだ。気持ちがそこに向かい、行き尽きたい思いの一点が、そこだけちょうどぽっかり欠落している事で、却ってグルーヴへの欲望が高まり、一旦走り出したリズムはかつて存在した筈の解決地点に向けて、どこまでもどこまでも疾走してしまうものである。


…そこまではわかる。ジャズを聴く事の基本的な愉悦が、そのように生成されている事はイメージできる。…しかしこのCDに収録されている多くの演奏での、やたら自在に伸縮を繰り返すテンポや、調性を大きく外れた激しいブローや、他との不整合を隠しもせず唐突に指し示される定型フレーズ。それらがかつて無い程、有機的に絡まりあう状態を耳にしていると、ほとんど腑に落ちるようなレベルの理解を超えてしまう。そこにあるのは驚きと不安だけである。柔軟さとか圧倒的な運動神経に驚嘆する前に、そもそもここでなぜ、いきなりテンポががくーんと落ちてしまうのか?激しいパッシングのような短いフレーズの連続打撃の直後、粘りつくようにだんだんとビートが戻ってくる瞬間は何なのか??その直前で彼らが何を聴き取り、何を感じていたのか?そしてどこへ向かおうとしているのか??という、一瞬一瞬に含有されている判断の、その説得力を感じ取れるか否か、という事こそが、この演奏の肝であり、ひいては末期モダンジャズの肝なのだろうと思う。