スポーツ中継


たとえば野球なら、投げるとか打つとか捕球するとか、そういうひとつひとつのアクションがある程度単独で捉えやすい、投げると打つと捕球するが、同時に起こる事はまずないだろう。(打つと同時に走る、とか、そういうのはあるのか。でもそれもまた全体に対する慎ましい割合だ)つまりテレビ中継に向いてるスポーツなんだろうなと思う。(こんなこと、むかし誰かが書いてたっけ?)


サッカーも基本的にボールの周囲で起こる出来事が中心に捉えられていればOKで、勿論フィールド内ではボール周辺以外でもさまざまな動きが同時生成してるのだろうけど、でもおおむね固定フレーム内において、ゆっくりと移動していく中心を追っかけていればテレビ中継としては問題ないのだろうと思う。


これがモータースポーツだと、事態はやや複雑で、F1の場合一周数キロに及ぶサーキットを周回する訳であるが、そのサーキット全体をテレビカメラのフレームに収めることはできなくて、テレビ中継では各地点における自動車走行シーンの連続が中心となる。そこと車載カメラからの視点がたえず差し挟まれる。


F1をテレビ中継するとき、そこで何が起こっているのか?をどのように表現すればよいのかはそれなりに難しい課題であろう。そもそもF1ではスポーツ中継として視聴者に何を伝えるべきなのだろうか?スプリント競技なのだから、やはりタイムというものがもっとも重要だと思われるのだが、しかしそのタイムが計測されている瞬間を生々しく切り取る事ができないのであれば、テレビ中継の意味はほぼ無いといえる。自動車の繊細な挙動とかドライバーの瞬時の判断が映っている必要があるのだ。でもそれをモニタに映す事の何という難しさであろうか。


F1とかモータースポーツを観ていて思うのは、やはりこの手のスポーツをテレビ中継するというのは、たとえばウィンタースポーツの、スキーの大回転とか、クロスカントリーみたいなやつとか、ああいう風な方法に則るしかないんだろうなあと思う。っていうか、つまりマラソン中継と同じ構造でしかないのだろうなと思う。まあ、そりゃそうだ。マラソン中継って、スポーツ中継の要素は20%くらいで、後はある人物の顔の表情が延々映し出されて、そこに読み取るべき感情が沸くドラマみたいな要素が残り全部だろう。だからそれなりに見続けることができるのだろうけど、F1の場合はそういう感情移入先が無いから、ある意味厳しく、でもそれが却って現実的なリアリティと感じられう節もある。


何でこんなことを書いてるかというと、最近WRCを観てるからなのだが、WRC(世界ラリー選手権)は、ある国(たとえばアルゼンチン)の、定められたいくつかのコースを選手が単独で順々に走って、タイムを競う訳だが、その様子を捉えたテレビ中継というのは、これはもう、どうあがいても「中継」にはならない、という事をひしひしと感じさせられるからだ。。…とにかくある一定の道のりを車が走行しているというとき、カメラが50mごとに設置されてでもいない限り、その走行の様子をずーっとモニタで観ることはできない。車載カメラは回り続けているのだが、車載カメラというのはドライバー視点な訳で、ドライバー視点というのは驚くほど「全体」というものが把握できないのである。まあ当たり前のことだけど。


WRCをテレビで見てるとき、走ってる車のそのときたまたま撮影された瞬間の挙動とかを見て楽しんでる要素が強く、トータルで観たときスポーツ中継というよりはどうしてもある一定時間に起こった出来事のダイジェストにしかならない事が強く感じられる。そこには「リアルタイム」な演出というのがまったく無い。というか不可能である。でもそこがなんとなく観てて楽に感じるところでもある。まあ要するに、この手のテレビでは、中継方式の特質上、結果がそうなった理由とか原因とか因果とかが、映像として納得できるかたちで供給されないという事なのだが、でもそれでも全然物足りなくないっていうか、それで良いのだと思えてしまうところがあるのだ。(野球でいったら、次のカットでいきなりランナーが居なくなっているのだが、その理由は大体で想像しつつ、次のイニングに関心を移すみたいな…)