「ストレンジャー・ザン・パラダイス」


ストレンジャー・ザン・パラダイス [DVD]


公開の時以来だから20年ぶりの再見で、もう忘れている筈の細かい部分とかがさぞ新鮮だろうと期待して観たのだが、思った以上に一個一個のシーンをかなり細かく覚えていて、いくらなんでもさすがにこれほどまで細かく覚えている筈がないと思うので、その後ビデオとかで観てるのかもしれないと思った。まあ、ある程度想像通りだった分、ちょっと期待はずれだったがやはり面白い映画だ。この映画ではカットとカットの間が1秒くらいのブラックアウトで繋がれており、ひとつひとつの場面が物語とか意味とかに隷属してる感じが希薄で、ワンシーンが単独で自律している事が強く感じられるような作りになっており、カメラが対象を捉え始めてから捉え終わるまでの時間もとても大雑把に感じられ、余剰とか無駄を贅沢に含んだ状態で、いい加減に切り取られたような感触があり、おそらくそのとき撮影現場に漂っていたはずの空気とか時間とかまでを、たっぷりと含んだまま並べ直されたような感じが濃厚である。などという事をよく言われる。


しかし今回久々に観たことで、この映画を面白くしているものは前述の要素もさることながら、どちらかというと、そういう舞台で自由に芝居している役者たちの姿に、多くを負っているように思った。もしこの映画の登場人物のひとりを演じるのがジョン・ルーリーでなかったとしたら、映画全体が、これほど素晴らしい作品として結実しただろうか?そう云いたくなるほど、ジョン・ルーリーの顔や仕草や喋りや服装や佇まいの魅力には、ものすごいものがある。もちろん他のふたりも、全身から全てのやる気が抜け落ちてるかのような、ボロいを通り越してだるいような、ローファイ極まりないような、圧倒的に素晴らしい存在感で、加えてクリーヴランドに住むハンガリー語しか喋らないおばさんも判り易すぎなほど面白い人である。


この映画は、これらの登場人物たちの魅力一発で観客を引っ張っていく映画であり、ウィリー(ジョンルーリー)と、いとこのエヴァ、ならびに友人のエディーとの関係・距離感の変容…と言って良いのかわからないような微妙な…変容の過程に引っ張られて観て行く映画である。当初、まったく打ち解けようともしないし、せっかくだからお互い仲良くなごやかな関係になろうかなどという気持ちなんて微塵も無いような、ウィリーとエヴァの二人なのに、なぜか気が向いたウィリーがアメフト試合のTV中継を熱っぽく解説してあげて、エヴァに質問を返されて何と応えて良いか言葉に窮してやる気をなくし、喋るのがめんどくさくなって匙を投げるかのように「見てりゃわかる」と返すとすかさず「…下らないスポーツね」と返されて憮然と沈黙するとか、エヴァが色々食品を万引きしてきて好物のTVディナーも取ってきてくれたのでちょっと機嫌が良くなってデヘデヘと笑い合って握手するとか、御礼、というか今の関係をまあ軽く良好なものにしたい気持ちとか、俺はいとこのお前が傍にいるのはさほど悪い気はしないぜ、という気持ちなんかを含みつつ、プレゼントとしてドレスを買ってあげたら「ありがとう、ドレスね。…サエないわね。私の趣味じゃないわ。嫌よ着ないわ。…うん、わかったわ、じゃあ後で着るわ。」と、後でで良いでしょ?と云わんばかりに、なけなしの厚意をエヴァにそっけなくスルーされてしまい、せっかく買ってきてあげたドレスもまるでゴミのように平然と、向こうのソファにひょいっと放り投げられてしまうところとか、その後、ゴミ箱にドレスを捨ててるエヴァに偶然エディーが会ってしまうのだが、その後エディーはウイリーに何となくうやむやにその事実を伏せたりとか、…まあ、こういうちょっと微笑んでしまうような素敵なシーンがいくつも積み重ねられる事で、次第に関係が醸し出す何かが良い感じで温まってきて、その熱で観る者を引っ張っていく訳で、とはいえその温まった熱は決して鬱陶しくはならない程度の絶妙な温度なのだ。


ちなみに冒頭近くで、友人が競馬新聞を広げて「トウキョウ・ストーリー」という馬に賭けようとか喋ってるシーンがあるけど、ある意味この映画自体が、小津に対して何らかの関係を図り、自分と小津との間との、納得のいく距離をとろうとする試みだと推測する事も不可能ではないのかもしれない。だとすると、たとえば人物と人物が関係するという事とか、そこに発声する心理とかを、ぐーっと引いたカメラで捉えて風景の向こうに霞むくらいの濃度にしてしまう手段が、何か小津的というか、ふたつの映画の共通性らしきものと云えるのかもしれない。…などとつまらない事を書いたほうが良いような気にもなる。わざわざ映画の中で「トウキョウ・ストーリー」とか言うから。


…しかしいずれにせよそこは、ニューヨークであろうとクリーヴランドであろうとフロリダであろうと、どこへ行っても同じ景色ばかりの平坦な地平であり、そこで宙吊りのままの、行き場のないやり場の無い、結論も何もない場所にやる気もなくゆるーく留まっている三人組のリアリティであるが、…まあそんな事は別にどうでも良くて、とりあえず、ギャンブルとドライブの根無し草生活が微妙に眩しくて、うらやましくて、他人の楽園をのぞき見てる感じがして、あぁいいなあこんな生活…と思う。


ちなみに、ウイリーが競馬場に絶対エヴァを連れて行かないという設定は素晴らしい。ウイリーにとっての賭場という場所が、エディーにとってのそれと違うのは明白で、…それが男ってものなんだよ。。わかってやれよエヴァ