ドーハ

サッカーの話題が賑やかだが、最近はもはやスポーツ中継をテレビで自ら観戦することがほぼない。何でも見ればそれなりに面白いというのはわかっているので、あえて距離をとっているとも言える。サッカーはむしろ小学生の頃によく見ていたし(土曜18:00の「三菱ダイヤモンド・サッカー」)、地元のサッカークラブに所属していたりもした。ちなみに1981年千駄ヶ谷の国立競技場でフラメンゴリヴァプールの試合を観てもいる。つまり現役時代のジーコを観ている。「キャプテン翼」連載開始もやはり1981年で、単行本一巻を買って読んだのをいまだにおぼえている。

Jリーグが発足したのは自分が大学生の頃で、そのときすでにサッカーへの興味はほぼ消滅していたのだが、1993年「ドーハの悲劇」はテレビで観た。あれは面白かった。あれが僕の「サッカー観戦」の経験における頂点だろうと思う。

受け入れがたいものを受け入れる、そうせざるをえない、誰もが皆悔しい、忸怩たる思いであると、それをある共同体単位(国家単位)で認識させられるという体験。そういうのはオリンピックとかでもあまり見たことのない、前代未聞の新鮮なものに思えた。

単なるナショナリズムと括るだけでは済まない「不意に急所を突かれた感」の理由がどこにあるのかというと、それは「我々が負けたのは、サッカーにおいて我々がまだ発展途上国だからである」との苦いけれども明確で揺らぎない認識、改善すべき問題点、我々が抱える今そこにある弱点を、誤魔化しようもなく誰もが正面から受け止めざるを得なかったからだと思われる。(誰もが無言でうなだれた。誰かがひたすら悔し涙を流す状態を誰もがふつうに受け入れた。まだネットもSNSも一般化してなかった時代だけど、とにかく一瞬だけ生じた言葉の無力化が清々しいほどだった。)

この「国家として、組織として、技能集団として、まだ未熟だ」という感覚は、あのような感じは、後にも先にも感じたことのないものだった気がする。というか、僕自身にそういうことへの関心が薄れてしまう、どうでもよくなってしまうことのギリギリ最後の段階でそれが起きたのかもしれない。

今でもおぼえてる気がするのだけど、もしかすると記憶に誤りがあるのかもしれないけど、僕の記憶では、日本代表のオシム監督は試合後に「負けた、これがサッカーだ」と言ったのだったと思う。この言葉は僕はわりと好きで、どうも物事が思うように行かなかったときに、「でもこれがお前の求めていたそれだよ」と言われるときに、ああそうだと、これが目的の先だったよねと、そう思わせてくれるのだと。そこに、ある不思議な盤石さ、安定のようなものを感じさせてくれる意味で、負けたという結果が好きというのはある。

鈴木は、FIFA関係者のドイツ人から「これがサッカーだよ」という言葉を投げかけられ「こういう経験を私たちサッカー界はあと100年の間に何十回も経験しないと、本当の意味で世界を知ることは、世界と伍することはできないんだなと思いました」と語っている

松永は、「日本はサッカー先進国に向かっている途中だからこうなんだ。これがドイツやブラジル、スペインだったらこういう歓迎のされ方はしないんだろうな。これから代表を背負って戦っていく選手たちに対して、ここでブーイングされるときこそが本当の日本のサッカーのスタートなんだな」と感じたという。また実際に現場で取材したベテラン記者の中には、こうした国内の反応を苦々しく思う者もいたらしい。

ドーハの悲劇 - Wikipedia

ウィキペディアにある上記記述も印象的だ。このような苦み、このような「これから続く苦難の道」を、多くの人が共有したということ自体が面白かった。(だから単にテレビを見てる立場としては、今後もできるだけ苦しみが続いてほしいとさえ思っていた。苦しくて辛いことがいつまでも続くのだとしたら、それは興味深さにおいて期待をもたせた。)