相合傘


墨東綺譚。…夕立が降ってきても、主人公はすこしも動じてない。慌てふためく周囲を涼しげな眼差しで観察しつつ、所持していた傘を差す。しかし結局、この直後、主人公は不意を突かれてやや驚くことになる。

わたくしは多年の習慣で、傘を持たずに門を出ることは滅多にない。いくら晴れていても入梅中のことなので、其日も無論傘と風呂敷だけは手にしていたから、さして驚きもせず、静にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方から、「檀那、そこまで入れてってよ。」といいさま、傘の下に真っ白な首を突っ込んだ女がある。油の匂いで結ったばかりと知られる大きな潰島田には長目に切った銀糸をかけている。わたくしは今方通りがかりに硝子戸を開け放した女髪結の店のあった事を思出した。

にわか雨とは、それまで真っ白かったものが、たちまちのうちに、真っ黒になっていく瞬間の事ではないか?などと前回の日記で僕が、かなり唐突かつ意味不明なことを書いてる理由は、おそらくその直後の、この主人公の傘の下に飛び込んでくる女の首筋が、あまりにも白いからだったろうと、今になって思われる。ふいに視界に飛び込んでくる白い首と、濃厚に香る油の芳香と結ったばかりのボリュームのある髪。女性というひとつの量感をもった物質が何の前触れも無く自分に近づいてくることの驚きである。晴れと雨、黒と白がめまぐるしく交差して、何かが動き出す。女はやや困惑気味の主人公など気にも留めず、なれなれしい態度で傘の柄につかまり、やがて「浴衣のすそを思うさままくり上げ」さえするので、露出する足首からふくらはぎにかけての白さが、雨で黒く濡れた路面にますます引き立つことにもなるだろう。


この後、「夕立のせいで事件が起こるなんて酷い紋切り型では」と考える読者のために、荷風自身がくどくどと、いやそうではないんだと、この箇所をこのように書いた理由を言い訳している箇所になる。こっちの方が現実に即してるんだという事が、くどくどと書かれている。面白い。