窓枠に座る女


墨東綺譚の中盤。三日ぶりに外に出た主人公が、玉の井の私娼・お雪のもとへ急ぐ。いつもの窓にお雪の顔が見える。

今夜はいつもの潰島田ではなく、銀杏返しに手柄をかけたような、牡丹とかよぶ髷に変わっていたので、わたくしは此方から眺めて顔ちがいのしたのを怪しみながら歩み寄ると、お雪はいかにもじれったそうに扉を開けながら、「あなた。」と一言強く呼んだ後、急に調子を低くして、「心配したのよ、それでも、まァ、よかったねえ。」

もしや逮捕されたのでは、と思ってたらしい。…それはともかく、久々の再開なのに特に激しい抱擁がある訳でもないし、劇的な再開のやり取りもない。そんな如何ほどの激しい動きもない。暑いな、とか、蚊を叩いたり、相変わらず忙しいか、とか、ことばをやり取りをしながら、お雪はいつもの窓際へ座る。そこへ座って、通りを行く男たちの素見客にからかわれたり客引きしたりするのである。チリンチリンの鳴る音が聞こえて、氷白玉をふたつたのんで、それを食べながら…

窓口を覗いた素見客が、「よう、姉さん、ご馳走さま。」
「一つあげよう。口をおあき。」
「青酸加里か。命が惜しいや。」
「文無しのくせに、聞いてあきれらァ。」
「何云てやんでぃ。溝っ蚊女郎。」と捨台詞で行き過ぎるのを此方も負けて居ず、
「へっ。芥溜野郎。」
「はははは。」後から来る素見客がまた笑って通り過ぎた。
お雪は氷を一匙口に入れては外を見ながら、無意識に、「ちょっと、ちょっと、だーんな。」と節をつけて呼んでいる中、立止って窓を覗くものがあると、甘えたような声をして、「お一人じゃ上ってよ。まだ口あけなんだから。さァ、よう。」と言って見たり、また人によっては、いかにも殊勝らしく、「ええ。構いません。お上がりになってから、お気に召さなかったら、お帰りになっても構いませんよ。」と暫くの間話をして、その挙句これも上らずに行ってしまっても、お雪は別につまらないという風さえもせず、思出したように、解けた氷の中から残った白玉をすくい出して、むしゃむしゃ食べたり、煙草をのんだりしている。

窓枠に腰掛ける女、といえば、成瀬巳喜男の映画に出てくる女優たちを思い起こしそうなものだが、いまの僕がここでつい多い浮かべてしまうのは「ヴァンダの部屋」という映画の中のヴァンダという少女の姿である。まあたまたま最近観たからだけど。あのヴァンダの表情とか、声、しゃべり方、煙草の吸い方、ぼーっとしてる様子、それらの感触が、上記の描写からそのまま呼び起こされてくるような錯覚が自分に中にある。