手を抜く


むかし、たしか内田春菊さんが言ってたのだが、相手に対して手を抜いたら恋愛はもう終わりよ!!みたいなセリフがあって、それが印象的で今もおぼえている。いや「恋愛の法則」云々で参考になるとか、そういう事で印象的、という意味ではなくて、何事かに取り組んで、それを継続させる事の本質的困難さが鮮やかに浮かび上がってるように感じられて、その意味で忘れがたいのだ。


恋愛に限らずなんでもそうかもしれないが、かりに手を抜いたとしても、大抵の場合、意外にあっさりと、まあまあもっともらしく、手抜きの部分がバレない感じに、とりつくろう事はできるものかもしれない。ただし手抜きをとりつくろうために予想外に手間取ったりして、これならマトモに取り組んだ方がかえってラクだったかも、などと思う事もあるかもしれないが。…しかし、やはり大抵の場合、その手を抜いた場所からあっという間にほころんでいくものなのであろう。でもそもそもなんで、そこで手を抜こうと思ったのか?そこに自分の本来の気持ちが裏返って隠れているのだ。おれは本当は何がしたかった?


絵を描くというのは、これはもうある意味、基本的にはたいへん面倒くさいのである。何が面倒くさいといって、「今オレは手を抜いてやしないか?」と絶えず自分に言い聞かせてるのが、面倒くさいのである。いま、この目の前のありさまは、オレにとって何なのか?これをこのままにしたいのか?すべて棄ててしまいたいのか?どうなんですか??…そういう風に考えながら、孤独に手探りを続けるよりほかないので、そういう自分がたよりなくて、面倒くさいので、つい手を抜きたくなる誘惑に駆られるのである。…困ったことに、一度手を抜き始めると、絵を描く事は、俄然たのしくなってくるのである。だから余計に、手を抜くことの誘惑に、抗いがたく魅了されるのである。