重力

現代アートとは「いま、現在、なにをまっさきにやるべきか、それを決めて実行する技術、仕事」である(細かくいうと、決めて、というのが重要です)。

(中略)

ということで、現代アートとは(時代を追いかけず)自ら、いま、やるべきことは何かを決め、それに関わる技術となります。

(中略)

「いま、という時間を決めるということですか?」という質問もあるでしょう。そう言ってもよろしい。細かく言うと「このときこそがいまだ、これこそがいまやるべきことだ」という事実(!)を成り立たせる場(!)をつくる、ということ。格好よく言うと、時間と空間をつなぎとめる現在という決定基準を自ら定めるということ。

(中略)

いまとは何か、それは順番をつくることです。

(中略)

「いま、現在」とは時間の順序であり、同じく「ここ」とは空間の順序です(おしっこはいまこのトイレでしなければできなくなるよ。外でしてはいけません、と子どもは習うのです)。場とはその切迫した順序でできているのであり、現代アートとはその緊急の場を自分で組み立てる技術なのです!この場所さえつかまえられればわれわれも、時間も空間も自由自在のスーパーマンまで、あともう一歩だ!!


Let's try to act in the gap between the two.
仕事場=ここがロードス島だ! 文=岡崎乾二郎(美術手帖2008年8月号)

一.ボーッしなさい。なにも眼はふたつあるとはかぎらない。

二.空を見上げる。眼を伏せ地を見る。それらを同時になせ。

三.これからやって来る何ものか、或は去って消えゆくなにものか、すでに無いもの、いまだ無いもの。

四.夕日、落日、西日が眼を水平に射る高所に昇りなさい。

五.まず、顔を晒しなさい。顔は空間を移動する一つの襞である。

六.私達が対峙する時、例えばリンゴの置かれた場所は私達に連続、共有するのではなく、リンゴが舟にあるとすれば私は岸にあり、岸にリンゴがあるとすれば私は舟にいるというように隣接の場を想像しなさい。

七.二人並んで、例えば海に沈もうとする落日を見る。その時、二人の四ツの眼が隣り合う二ツの眼によって新たな人格を生むことが出来ないか。その人格が、落日を見るという風に。

八.例えば犬吠崎の断崖の上で、横たわる一本の棒切れを踏んでいるとしよう。その棒切れは実のところ、巨大な環の一部…線分であった。足底を基点にその環を前に倒すとそこは大海であり、後に倒すと自分がここ断崖に至るまでの背後全体の空間、地面であろう。それではこの環を前に倒すか、後に倒すか或は垂直に立てたまま自分自身を前後に分かつか、どちらかを選んでみよう。

九.向こうからやって来る人に向かって進み、進んでいることがある。一方は他方が去った地点を未来として向かい、他方も一方が過去として去った地点を未来として進んでいる。しかし互いは衝突せず擦れ違う。その一瞬の擦れ違い、則ち両者の接近・隣接・離反の瞬間に生じる垂直膜面を認識できないだろうか。又その時の響きを聞きとれないだろうか。

十.絵画を響かせる。


東京芸術大学美術学部 油画研究室中西ゼミ 二年生共通カリキュラム」

「絵画体験/絵画実践=絵画衝動について思うこと」二〇〇〇一年