二箇所/ターンテーブル


ターンテーブルが2台ないし3台あるということ。一台のターンテーブルでレコードを再生して、フロアに音楽が溢れはじめたとしても、そのグルーブをどこまでも持続させるためには、少なくともターンテーブルがもう1台いる。そして、1台から再生される音と、もう1台から再生される音との境目を調整してあげるときだけ、人間の技術が必要なのだが、それ以外はなるべく自然のままであるのが望ましい。それが基本だ。


1台のターンテーブルと、もう1台のターンテーブルがある以上、仕方がないから、その間に人間が介在せざるを得ない。その音楽がいつまでも生成され続けるためには、どうしてもDJがいてもらわなければ困る、DJは常に状況を平常で安定したものに維持させ続ける期待を背負っており、しかも現実には、1台目と2台目との間の断絶がひっきりなしに、絶え間なく迫ってくるので、それを常にどうにかして、ぎりぎりのところで橋渡しをして、かろうじて成り立たせている状態の、どこまでも続く継続としてしか存在できない。そういう状況だと傍目には、グルーブが元々レコードの方に属するのか、それをせき止めないようにしている人間の方に属するのかが、ほとんど不分明になってしまいさえする。


最近、自分の前に何かモノがふたつある、という状態にやけに意識が向いてしまう。それがスプーンであっても、キーボードであっても、モニタ画面であっても、何でも良いのだが、それらが横にふたつ並べられるという、そのセッティングがされると、はじめて自分が必要とされているような錯覚に陥る。