キーファーを観て


先週の土曜日に軽井沢セゾン現代美術館へ行ってきた。(良し悪しの印象ではなく)印象に残った作品といえば、キーファー、トゥオンブリ中西夏之ジャスパー・ジョーンズ岡崎乾二郎小林正人中村一美、山田正亮といったところ。ずいぶん昔に買った所蔵作品カタログを今まで何度も見ているため、ある意味見慣れた感のある作品が多いのだが、それでも80年以降の国内美術のコレクションとしては見ごたえ充分で面白かった。


キーファーは、真ん中が錆びて陥没したような鉛のベッドが並んでいるインスタレーションの作品と、巨大な鉛の壁の中央に髪の毛らしき物体が供えられた、きわめて大掛かりな如何にもな感じの作品があって、おぉキーファーだよ、という感慨はあった。しかし今観ると確かにこれはもはや、マトモに見る事が難しい感じもあるなあと思わされるところもある。逆にいうと、これらがアクチュアリティをまとって、人々から真剣な眼差しで観られていた時代も確かにあったんだよなあ、という感慨でもあるのかもしれなかった。…そんなことをいうとまるで、もはやキーファーをマトモに観る人なんていない、とでも云わんばかりの感じになってしまうが、そういう事を云いたいのではないのだが、しかしここでの作品の成立のさせ方というのは、今観ると明らかに、その対象に対する距離の取り方において、一時代前の仕草、という印象は否めない。なんというか、ここで作り手は作品と作品の意味するものの間に、微妙に気持ちの悪い隙間が出来ることをちゃんと知っていて、でもそれを承知の上で、このような作品を仕立てたというのが確信犯的な態度として透けて見えてくるようで、しかもこの作品を取り囲んだ観衆たちも、同じようにその隙間をちゃんと確認しているのに、それをベタに無粋に指摘することはしなかった、というような事を思い起こさせる感じと言えなくも無い。


まあ、その書き方だとやはり、あまりにも自分も含めた過去というものに対する底意地の悪さが強すぎて、しかも今になって臆面もなく語る事の後出しジャンケン的なアンフェアさに無自覚すぎる事は間違いない。とはいえ、今思うのは、なぜ当時、これほど雰囲気が尊重されてしまったのか?という事で、ここにあるのは、美術作品が背負えるものを本気で信じられない一がそれでも美術というフォーマットで気合を入れて何か作った、という事にほかならず、その信じていないのに本気。という態度だけが当時の誠実さだったのではないか?とさえ勘ぐれるほどのパワーすら感じてしまうのだった。


当時、80年代の終わりから90年代にかけてのドイツ産コンテンツを、当時の僕は池袋のアールヴィヴァンとかで色々見ていたのだなあと、妙に複雑な思いで考えてしまった。ベルリンの壁崩壊前後とかと直接的には無関係に、愚かな若者の自分にとってドイツは特別な匂いを漂わせていて、ドイツ表現主義から始まって、バゼリッツとかキーファーとかリヒターとか、いやもっと奇怪な素描家たちの、デューラーからシーレ、ヴンダーリッヒ、ヤンセン、コルヴィッツあたりまでも含めて、基本的に描けるフィールドであれば遠慮なくどこまでも描くけど、そうじゃなければもう、手のひら返したように、描くなんてビタ一文信じてなくて、描くという行為とか美術とか絵画という在り方について、きっちり一定の距離を取りたい欲望が強烈な人たちが居て、そういう人々の国として、ドイツを思い浮かべられるのかもしれず、唐突なようだがたとえば奈良美智もそういえばドイツ留学してるし、ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン天使の歌」が湛えていたあの感じとか、音楽にしてもヴェンダースが当時好んで聴いてたであろうルー・リードとかニック・ケイヴとか…こういう言い方はあまりにも十把一絡げで乱暴なのは重々承知だが、やはりある種の雰囲気だったのかもなあ、とは思った。


キーファーに関してはでも、いまでもやはり面白いと感じる部分は自分の中に残っていて、何といってもまずああいう素材を引っ張り出してきただけでも見事だし立派だしエライと思っている。それが如何に内実を伴わないスカスカな空虚であったとしても、それはまさに前述の何か共鳴(虚名、と誤変換された)のようにも思えて、なんとなく意地でも「ツマラナイ」とは云いたくない気持ちもなきにしもあらずだ。