杉浦大和、ゴードン・マッタ=クラーク

銀座の藍画廊で杉浦大和展を観る。画廊を訪れて、絵を前にするときにみえるもの。それは絵の前にいるときだけ現れるものである。画廊を出てしまうと消えてしまう。後からそれを思い出すことはほぼ不可能である。そのことはもちろんわかっているのだが、あらためて思うに、絵を観るというのは、絵を観ることを切り上げる判断をすることと不可分である。絵の前にいるときだけ現れるものが、僕がいつ観るのを止めるのかを、じっと静かに待っている状態である。いつものことだが、さて、そろそろと自分に言い聞かせて、その場を去る口実を適当にみつくろって、自分が絵から離れて、画廊を後にするとき、絵の前でまだはっきりと現れているものを、自ら振り切ってしまうときに、いつもかすかな羞恥をおぼえる。


竹橋に移動して国立近代美術館「ゴードン・マッタ=クラーク展」を観る。近代建築とか近代以降の住空間は人間をけして幸福にはしなかったという強い思いから出発して、住空間への懐疑を突き詰めるというか、与えられた条件や場をひたすら読み替えるための試みを繰り返していたのか…などと思いながら会場内を歩いた。穴とか空隙の形状やエッジに作家性というか固有の嗜好性が感じられもして、きれいな円弧を描いてスパッとした断面で空いたフォルムの気持ちよさが印象的だ。そして記録写真でも映像でも一貫して、穿たれた隙間からは太陽の強い光が入ってくる様子が執拗に残されている。やや劇的に過ぎませんかと思うほど、眩しい光の明滅で空間の内と外を貫こうとする。


まずこういう形式の作品がそれなりにきちんとアーカイブされていて、このような回顧展が可能なくらい資料がまとめられているということ自体が凄いと思ってしまう。たぶんアメリカの美術史的にきちんと記録がなされたアーティストの一人なのだろう。それは現役の活動時代からある程度そうだったのだろう(各国の色々な美術展にも招待されているし)。このような形式の作品が如何に芸術の仕事として残るのか、それを残そうとする力、人々のことを想像してみたりもする。さすがアメリカだとか日本じゃこうはいかないとかそういう話ではなく、何を価値として残すのか、何を保つべきと考えるのか、制度以前に自分の意志として何の手がかりもない地点からそれを考えるというのは大変なことだ。作家も大変だが周りも大変だ。でも芸術とはそういうものだ。作家を中心として周辺の皆で成り立たせるものだ。


一巡して、作品としてもっとも印象的だったのは「日の終わり」と題されたニューヨークの埠頭の倉庫に「ビルディング・カット」した作品であった。会場内のキャプションによると70年代~80年代、行政の運営方針が停滞していたらしくニューヨーク埠頭は廃墟同然となった倉庫が立ち並ぶ無人のエリアと化し、ゲイ達の出会いの場として一部に知られるばかりの状態だったという。そこに目を付けたゴードン・マッタ=クラークによって巨大な倉庫の床と壁に巨大な穴が空けられた。記録写真にはやはり強烈な自然光が倉庫内の闇に差し込んでいる。穴が半月型をしているために、真っ暗な倉庫の真上に巨大な月が浮かび上がっているかのようにも見える。まず真っ先に思い出したのは数ヶ月前に閉鎖となった横浜のBankARTBankART Studio NYK)であった。水ぎわに立つ、がらんどうの建築物、展示空間としての魅力というより、建物としてそれが存在しているだけで嬉しいと感じられるような場所だったように思う。老朽化が閉鎖原因なので仕方が無いとはいえ、あのきわめて魅力的な建物が既に無いのは今更ながら惜しいと、最後にもう一度見たかったと、そんなことを思い起こさせた。言うまでもないがBankARTとゴードン・マッタ=クラークには何の関係もない。


会場には写真家アルバン・バルトロップによる当時のニューヨーク埠頭を捉えた写真集「The Piers」も閲覧可能な状態で置かれていた。アルバン・バルトロップという写真家とその作品集を、僕ははじめて知った。当時の埠頭周辺の風景およびその界隈に居たゲイの人々を被写体にしていて、背景にそびえる廃墟化した巨大倉庫の壁に「日の終わり」のカットされた巨大な空隙が、ぽっかりと口を空けているのが写り込んでいる。かなり遠い場所から隠し撮り的に、望遠で撮られた写真も多く、無人のだだっ広い港内の一角で、豆粒のように小さな男性カップルが並んで寝そべっていたり、全裸で腰掛けていたり、交接していたりする。ページ後半には性器もあらわな全裸の男性たちが朗らかな笑顔でカメラに目を向けている。全裸姿よりも髪型などに当時の時代っぽさが感じられたりもするこの作品集が思いのほか感慨深い内容で、いつまでも観ていたくさせるもので、一時的に成立し得た天国的な場というか、儚さと一体になった平和実現の光景というか…要するにこれこそ「パラダイス・ガレージ」的な世界そのものといった感じで、というか当時は実際にディスコ「パラダイス・ガレージ」で踊ったあと、この埠頭で愛し合うようなルートだったのではないかと容易に想像できてしまう(のだが、残念ながら作品「日の終わり」制作時と「パラダイス・ガレージ」開店は時期がずれるので、そういう流れがあり得たかどうかはわからない)。いずれにせよそれはある限定された領域内だけで実現した一瞬の成就が放つ魅惑的な匂いを放っているように感じられる。それは僕がラリー・レヴァンやフランキー・ナックルスの音楽をわりと好きだということでもあるが、それだけではなく僕は自分がヘテロセクシュアルだと自覚しているものの、それでもこの写真集やこれらの作品記録に不思議と惹かれる程度にはゲイ的でもあるのかもしれないことを意味するとも思う。それはたぶん誰もがそうで、それはどちらかではなくてどちらもで、単なる配分の違いというだけなのだろうと思う。なにしろここに捉えられてるのは、ほんのつかの間に実在した誰かの幸福という感じなのだった。それがまるでかつての我がことのようにせつなくなつかしいのだった。


もちろんゴードン・マッタ=クラークと、その作品と、アートシーンと、ゲイ達と、当時のゲイ文化と、それ以外の人々と、ニューヨーク市や政府の考え方と、それぞれ別である。それぞれは全く交点のないままで、やがてニューヨーク埠頭はその姿を変えるだろうし、ゲイ達はこことは別の場所を求めることになるだろうし、ゴードン・マッタ=クラークは本作品が元で(無許可で制作=倉庫を破壊したために)ニューヨーク市から訴えられ逮捕状が出されるに至り、そこから逃れるようにフランスに移動して次なる作品の準備にとりかかることになる。そこに何かの意味があったとか、作品が何かの象徴のようだと考えることはできないし、そのように感じるのは脆弱な読みだと思うが、しかし記録として観ることのできたその時空に強く惹きつけられたことは記しておきたい。


ところで次なる作品「フード」では、フードメニューは豊富そうだったけど、酒類は販売しなかったのだろうか。メニューにはコーヒー等以外のドリンク類は見当たらなかったようだが…。どうでもいいけど、そんな事も気になった。


これを書いてる今、できればもう一度観たかったと思わなくもないのだが、明後日(9/17)会期終了でもはや遅い。