ポーラ美術館での佐伯祐三


土曜日に行ったポーラ美術館では「佐伯祐三とフランス」という企画展をやっていた。展示内容は全然大した事がなく、佐伯作品もさほど沢山ある訳ではなく、佐伯祐三の展示だと05年に練馬の美術館でかなりの展覧会があったけど、あれと比較しても全然こちらの方が慎ましくて、単に所蔵作品展にちょっとテーマが色づけされてる感じであった。


最初は、佐伯祐三なんて大した事ないでしょ、と思い込んで観ていたのだが、でも実際観ると、そう簡単に一笑に付す事ができるほど甘いもんじゃないと思った。というか、正直かなり良かった。特にフランス時代の一連の絵は、これはもう良くも悪くも、一人の画家が外の世界から最高のイメージを全身に受け取っていて、それを何の障壁もなく最高の状態で(感覚と技術がぴったりと好ましく密着した状態で)自分からキャンバスへと送り返していく事ができているときの、ほとんど誰にも止められないような、殺したって止められないようなすさまじい勢いが横溢していて、そういうときの、作家という人間のタチの悪さというのはおそらくものすごいもので、もはややることなすことが全部「正しくなってしまう」というか、どう転んでも作品としてすごくなっちゃう。描いてる今この瞬間だけはもう、ウハウハで、調子に乗りまくりで、向かうところ敵無しで、描いていて本人だけはほぼ全能感すら感じてるのだろうと思われるような確信、というか妄信、というか信仰、に近くて、靴屋の店先を描いた絵とかカフェの細い鉄製の脚をもつ椅子とテーブルが雑然と並んでいる絵などは、もうそれが、のろのろと後からやって来てこれは何々的な技法とか何々風とか作品としてどうたらとか、そういう話をいくらしててもはっきり無駄と思えるような、あるすごい地点にまで行きついてるのかもしれないように、一瞬、思えた。それを、そのようにやってみて、あーほら、これもさっきみたいに、やすやすと成功しちゃったよ、ちょっとは半信半疑のまま一応ここまで乱暴に大胆にごり押しでやってみたけど、却ってますますすごい事になっちゃったよ、みたいな熱い勢いの感触が、そのまま100年近くたった今も生々しく残されているかのようだった。