藤島武二

ブリヂストン美術館からアーティゾン美術館に名前が変わったのが、いつの事だったかおぼえてないけど、リニューアル以来はじめて八重洲のかの地を訪れた。以前とはぜんぜん違う別の施設みたいになっていたが、展示されてる作品はたしかに石橋財団だ。

藤島武二という画家が好きだと、あらためて思った。藤島武二は1967年に生まれて1943年に亡くなった。夏目漱石と同年齢である。その時代の人なのだ。というか漱石も、仮に七十代まで寿命があったならば、戦争末期まで存命でもおかしくないのか。

ちなみに横山大観は一歳下。ボナールは同じ生年であり、マティスは二歳年下である。

藤島武二日本画から学び始めて、途中で洋画に転向し、1896年には東京美術学校の先生になった。1905年から1910年頃までイタリアとフランスに留学した、その時代の作品が三点ほど展示されていて、これらははじめて見たと思ったけど、そうでもなくてずいぶん昔に見ているかもしれない。

藤島武二はどの年代でも何を描いても、満遍なくとても巧みに描ける画家で、だからとくにどの時代が良いとか人物が良いとか風景が良いとか、そういう違いはあまりない。大正時代のイタリア肖像画の影響で古典風に回帰した時期はやや退屈だが、その後風景ばかり描くようになってからの、とくに朝の旭光をモチーフにした風景はすばらしい。

もちろん同時代的なアクティビティを感じさせる作風ではない。あきらかに時代遅れなのだが、むしろそうであるがゆえの巧みさ、模範回答の優秀さにおいて際立っているということだろう。

マティスが美術学校を目指していたのも1890年代後半だ。ギュスターブ・モローは先生としてとても優秀だったらしく、すぐにマティスの力量を見抜いたのだろうが、そういう先生に出会えたことは、マティスにとって幸運だったと言えるはずだ。もし仮にその幸運が無くても、やはりマティスマティスであったのかもしれないが。

マティスは美術学校の試験に一度落第して、翌年なんとか合格した。同じ年に、藤島武二東京美術学校にて教職に就いている。

これを単純な比較として考えても無意味だろう。当時のフランスという国の枠内で沸き立つ文化があり、日本は日本で別の沸き立ちに躍起であった、そういうことだろう。

マティスの画集に載っている初期作品「読書する女」(1895年)は、あきらかに印象派的なものとは別の問題を扱っているのだと思われるが、その真価はまだ、かなり見えにくい。それとくらべて藤島武二には、見えにくさがない。真価そのものが最初から無い…とさえ言える。そのような巧みさというものがある。