感情の回転(Derrick May)


テクノばかり聴いていると、やはりJeff Millsは特別だ、すごい、としつこいくらい何度でも感じてしまう。雑多に色々と聴く事が、もう既にわかったつもりになって慣れてしまっていた作品のまだ気付けていなかった側面をあらたに発見させてくれる作用を促すのだろう。そして、簡単にすごいすごいというけど、実際、こんな高いレベルですごいモノというのが、そう簡単に人々から受け入れられるはずも無いだろうなあ、とも思う。知れば知るほど、その都度異なった側面を見せるのだが、最終的な仕掛けや骨組みを理解する事はできず、いやむしろ普通の意味での仕掛けや骨組みを有していないので、結局、捕まえられずに却って遠くなるというか、高度な作品というのは常にそういうものなのだろう。しかしなんだかんだ言っても、ひょっとすると結局テクノというのは聴けば聴くほど、最終的にはJeff Millsのものすごさに集約されてしまうのではないか?超・乱暴かつ単純な仮定だがひょっとしたら、テクノ全体においてはJeff Millsだけがとてつもない場所にまでぶっ飛んでいるだけで、あとは大体似たり寄ったりに過ぎないのかも??などという予感を感じたりした事も少しあった。


でも、ここ数日いくつかのDerrick MayによるMIXの音源ばかり聴いているのだが、1時間程度のものから3時間以上のものまで、様々なのだが、いずれも非常に熱いものを感じさせる、素晴らしいプレイばかりで、今回Derrick Mayを集中的に聴く事で、前言が完全に撤回された、とまではいかないものの、しかしやはりこれはすごい。DJのプレイというのはこんなに熱くエモーショナルな、相対比較で優劣を言うなどまるで無駄に思えるような素晴らしいものなんだという事を、改めて思い知らされた。


Derrick Mayのプレイは基本的に相当荒々しい。とにかく繋ぎさえすればよい、このグルーブを勢いのままにブン回せればそれでよい、という事しかなくて、同じ事を繰り返し繰り返してループさせて、イコライザーで単刀直入にガツガツ変化を加えたり戻したりしながらも、とにかく執拗に助走をつけて、さらに溜めて溜めて…で、最後にがーんと繋いでいくとかキックをかぶせていくとかいう、その繰り返しでしかないとも言える感じで、しかし最後のほんの数小説分だけイコライザーのhighが強調されてから、さっと曲が切り替わるとか、ほとんど幼稚ともいえるような乱暴な手つきで無理矢理チャッチャカチャチャカ言わされた後、もういきなりドーン!と次のでかい波が展開していくところなんかに見舞われると、もう聴いていて一気にぶっ飛ばされてしまう。ほとんど全身がすべて鳥肌になってしまうほどだ。あるいはあまりにも切ない泣きの旋律がスパークするのでモロに喰らって泣きそうになる。


別に手法として全然特別な事でもなんでもないのに、Derrick Mayがそれをやると、ほんの些細な事にも感情が含みこまれている感じがする。これほど当たり前のなんでもない事を、ものすごくエモーショナルな事にしてしまえるのだ。一流の音楽家が皆そうであるように。