プロセスのプロミス


最近の自分の制作においては、進行する時間のある箇所に、何か微妙に区切りみたいなものがあって、今はそれを自分の中で「前半」「後半」にわけて考えている、のかもしれない。


「前半」を、5か6くらいやって、その結果をみて、駄目ならもう2か3くらい足してみて、それでも駄目だともはや、成功の見込みは薄い。サーキットを一周もできずにリタイヤという感じ。正直、半年以上、その状態だったのかもしれない。もう根本的にいけない感じだったかもしれない。しかし最近は、もう少しだけロング・ランできるようになってきた。出来るようになったから良い、とは考えていないけど、でも走らない事には、何もできないのだから、ひとまず周回を重ねられる事は大切だ。


「前半」を5か6か、それくらいまで行ってみて、よし。さあ「後半いくか」と思えたら、とりあえず良い。7か8まで行って、やや苦しいけど「後半」にしてしまう事もある。3か4か5で「後半」にしてしまう事は、ハイになってるときは、やってしまう事もある。以外と、そのまま上手く乗っかれる事も少なくない。上手くいかない場合は、5でも6でも、9でも10でも駄目で、というか、そこまで行くともう絵肌も限界なので、10までやるくらいなら、もう破棄してしまう。あるいは、5か6の手前で思った以上に決まりすぎても、逆に何もできなくなる。「後半」の余地が見えなくなったりする事もある。それはそれで困る。


で、まあ良いときはそのまま「後半」に移る。後半作業もたぶん、やはり前半同様、5か6以内で納まれば、多分良いのだと思うが、今のところはそれはない。手探りや賭けの部分もまだ多いため、どうしても増えて、8とか9とか、それ以上になる。正直、「後半」が「前半」の2倍以上になった場合、やってることは前半でも後半でもない何かへと変貌している。その状況こそが、何か新たなところに行けるかもしれないもっとも大きなチャンスであるというのは、頭ではわかっているのだが、不安や緊張も大きく、疲れるので、正直あまり好きな時間ではない。


僕はわりと、何もかもが計算ずくで行ってくれるようなのを望んでいる傾向がある。前述のプロセスも、もっと確実に、そうあれば良いと思っている。ほんとうは、絵画というのは、「前半」だけでできている状態が、一番良いのだ、ということくらいは、僕にもわかる。でも今は、まだその時期ではないので、僕は自分を信じて、「後半」も大いにがんばることにしている。そのことのツケもしっかり払うつもりで、堂々とやる。「後半」をはじめから「悪」とみなすことは、間違っている。「後半」も散々やって、それの功罪を肌身で感じて、それでいつか、自分の責任において、「後半」を捨てる事ができたら、それがもっとも良いことなのだと思う。