MOODYMANN “DET.RIOT 1967”LIQUIDROOM


MOODYMANNことKenny Dixon JrのDJを初めて観る。以前インターネットで、どこかのパーティーの動画映像を見た時、DJブース上にいるKenny Dixon Jr本人のあまりにもフザケタ感じでヘラヘラ笑ってるだけの、まるでクスリでもキメてるみたいなある意味完全にヤバい系の人みたいな態度をみて、日本に来てもこの調子なのだろうか?まじめにやるのだろうか?などと思ったりもしたのだが、実際は比較的ちゃんと仕事している感じだった。でもそれは前半までのことで、後半以降はなぜか急にご機嫌ナナメになった感じで、やる気をなくしたのか、急にむずかりだし、僕は英語がよくわからないので多分だけど、もう何をかければ良いかわからないと泣き言を言ってるらしく、同じ英単語(I Have No Idea!!!)を500回くらい連呼しまくって、ぎっしりの客が皆でわいわい抗議のジエスチャーをして、そういわずもうちょっとだからがんばんなさいよ、あと少しじゃないですか、となだめすかす、という事態となり、Kenny Dixon Jrもかなりしつこくイヤイヤを続けていたのだが、らちがあかないので仕方が無くふてくされた感じでふたたび嫌々適当な曲をまたやりはじめたのだが、やはり納得できないらしく意地悪く曲をすぐに止めたり、意図的にものすごく小さな音にしたりして(笑)、やっぱやだ、とかまた言い出して、それで客がそれをまたなだめる、という、もう明け方でそこそこ疲労感もキテルというのにそれに追い討ちをかけるかのような相当心身共に堪える状況になっていてちょっと笑えた。で、その後も、まあ仕方が無いという感じでプレイ自体は継続していたが、前半までの熱い感じは残念ながら亡くなってしまったのでその場で退場。午前6:30くらい。僕にしては長時間の間かなり頑張ったと思う。


僕はテクノもハウスも好きではあったがクラブやイベントに向かう事は今までほとんど無く、ここ最近なぜか興味本位の野次馬的に行き始めたようなところがあって、だから積み重なった経験もなく、いわゆるクラブカルチャーもDJカルチャーもあまりよく知らないので、どんなDJがどんなスタイルでプレイするのか、みたいな事に関して無知のままで以下のような事を書くのは、ちょっとアレではなるが、でもまあ、最初の素朴な感想程度で書いておくが、普通、一般的な解釈でいえば、DJというのは曲と曲を途切れさせずにグルーヴを持続させる事が最低限の仕事で、その継続の上ではじめて自分のワザというか、キメというか、自分ならではの個性というか、大げさに言えば作家性みたいなものをきらめかせるものだろう。この場合、持続するリズムが土台であり、それが音楽全体の安定したフレームであり、それが楽しさや良さの下地となっていて、その上でカッコいいプレイが炸裂するから皆が喜ぶ訳だ。


しかしKenny Dixon Jr氏においては、そういうDJとしての役割にあまり関心がないのだろうと思われる。というか、あまりよくわからないのだが、一部のテクノとかのDJが勤勉過ぎるのだろうか?Kenny Dixon Jr氏のプレイは、時と場合によっては、ほとんどお喋りして、合間に次の曲をかけて、みたいな、お前は今On Air中のラジオDJか、と突っ込みたくなるような態度が多すぎるというか、でもそういうのって普通のことなのでしょうか?曲が止まる、というのは、ダンス・ミュージックにおいては、あってはいけない。とまでは言わなくても、踊りたいと思ってる客を待たせている状態というか、少なくともその場を形成する全員にとって決して喜ばしい状態ではないはずだと思うんだけど、でもKenny Dixon Jr氏は全然そういう事は考えて無さそうだ。それよりも、喋りたい事や訴えたい事がいっぱいあるようで(笑)、しかしマイク持って喋るのが本当に好きだな。。一応クラブとかライブという場だと、もうちょっと限られた時間内の音楽的な密度を高めようとするもんではないか?と思うが、Kenny Dixon Jr氏はそのへん全く無関心な感じである。


曲のピッチの合わせ方のちょっとびっくりするくらい乱暴な感じとかも驚いた。っていうか、中盤あたり、Cueしないでいきなりかけはじめて、その場で音を出したままピッチを合わせたりするのをしばらく繰り返してたりもしてた。一瞬ぎょっとさせられるほど、異なるリズムが無遠慮に重ねあわされてすごい気持ち悪さが醸し出される。でも妙な話だが、そういう気持ち悪い感じも、ものすごくMOODYMANNっぽい。ワザとやってるのかもしれないし、別にどうでもいいと思ってるのかもしれない。っていうか、おそらく真相はそのどちらでもあるのだろう。


多分あまりやる気も無かったのかもしれないし、最初から最後まできっちりやる気も無いのだろうけど、しかしだから全然つまらないのかというと全然そうではないからすごい。というか、ものすごい。…なんでこんな良い曲ばっかりなんだろうと驚いてしまうくらい良い。正直、中盤以降はややシカゴハウスクラシックス的なのが強すぎて、まるで懐メロ大会というか、昔はいいよね的なノリが強すぎにも思われたが、それでもやはり良いものは良い。


大体、Kenny Dixon Jrはひたすら古き良きソウルやR&Bやハウスへの愛をストレートに口にして、次は78年だ次は85年だと言ってその当時のをかけて本人が喜んでる、というフシがあるが、自分が作ってるサウンドはそれほど単純でストレートにオールドスクールへの愛を表明したようなシロモノではまったくない。むしろ、その手の対象を憎んでいるのでは?とすら思えるような、完膚なきまでの、壮絶な解体作業とも、言えなくも無い。


Kenny Dixon Jrのつくる曲が醸し出す猛烈な黒さ、臭気、密度というのは、たしかにブラックミュージックのフレイヴァーなのだが、単なるブラックミュージックマニアには絶対に作れないようなほんの紙一重の、しかし決定的な違いがあるように思う。一口に「ハウス」というけれど、Kenny Dixon Jrにとって「ハウス」などというジャンルは、自分のイメージを実現させるための踏み台でしかないのかもしれない。要するにドン ドン ドン…とシンプルこの上ない四つ打ちさえあれば、それだけでそこに、すさまじいまでのファンクを含有させられるのだ、というのが、Kenny Dixon Jrのつくる曲のすべてなのかもしれない。


まあ「憎んでる」などと書くのもあまりにも単純で、愛とか憎しみとか言ってる事自体が単純な考え方なのだが、とにかくMOODYMANNの音楽が与える印象と、Kenny Dixon Jrの古い曲最高!の態度は、必ずしも作品〜作家の整合のとれたわかりやすさを証明していない。まあそれが実際は現実というものなのだろう。


僕がはじめてMOODYMANNの曲を体験したのは97年の「Silent Introduction」であるが、当時僕はハウスとかには全く興味がなかった。ニューヨリカン・ソウルとかが流行ってたりした時代だったと思うけど、当時はまだ、真剣に求道的にMODERN JAZZを聴く!的な態度だったので、ウワモノだけがJAZZみたいなのはまるで興味なかった。だからMOODYMANNの衝撃というのは、ハウス・ミュージックとしての衝撃ではなくて、まあ言ってみればパンクのような衝撃だったのだ。(でも音楽の場合、ある意味全てにおいて、素晴らしいものや衝撃的なものは例外なくパンク的なのだが)…まあとにかく、それを実現させるために常識では考えられないところまでを捨て去っており、しかし過剰さや馬鹿馬鹿しさもたっぷりと含んでいて「Silent Introduction 」は本当に良かったのだけど、その後、翌年になってさらに驚かされて、ああこれはもう自分の中で完全に殿堂入りだ、と感じさせられたのが次作「Mahogany Brown」であった。これは、まさに、超・傑作であった。


しかし、なんて素晴らしい音だろう、と思う。デカイスピーカーから出力されるデカイ音というのは、本当に素晴らしいものだ。僕はいわゆるオーディオ的な耳も知識も持ち合わせてないし、高域がどうとかそういうのもよくわからないが、とにかくあのひたすら全身を突き上げ、包み込むような大音量のサウンドというのは、本当にすばらしい。


まあ、やっぱりハウスは良いとおもいました。R&Bとかソウルの宝石の山みたいな素晴らしさを遠慮なく引き出してくるのが、ハウスのいいところ。マジで感動する。Kenny Dixon Jrが言いたい事もそういう事なんだろうけどね。前半のMOODMANのプレイもすごく良かった。


7月に行ったLos Hermanosのときと較べて、客の人数はすごかった。超混んでた。おかげでカウンター・バーが並んでいて、僕は並ぶのが嫌いなのでかなり長い間何も呑まないでいたのでけっこう疲れた。明け方のグダグダ時間になってからぐーっと飲んだらうまかった。