電車の座席に座る


若さを失うというのは、体力や精神力や攻撃性や繊細さを失う事でもあるが、しかし自分の体力や気合の程度を自分で自覚して、それを何とか上手く利用しようとしたり、あるいは取り繕おうとしたり、人目に隠して誤魔化したいと思ったりする事も、やはり若さだ。本当に若さを失うというのは、それすら出来なくなることで、それは要するに自意識を失うという事で、自分を司る細々とした各機能を一々全部気にして、なるべくちゃんと制御しようという気持ちを失う事であろう。


電車の座席に座っている僕の隣に人が座る。視界の脇に厚いダウンジャケットとマフラーで、もこもこした感じの塊が入って来て、結構な荷物を両手に抱えていて、それらを足元に置いたり膝の上に乗せたりして、腰の位置を前後にずらしたりして、やがて、どかっと背もたれに体重を預ける感触があって、その後もしばらく、包み紙や買い物袋などの、ガサガサ乾いた音が聞こえてくる。


僕の向かいにも人が座っており、若い女の子二人はさっきまで発作のように笑い合っていたのに、急に静かになり、二人ともずんぐりとした体型を分厚い防寒着で包んでおり、タイツにくるまれた両足を力なく八の字に投げ出すようにして座っており、力の抜けた感じで二人揃って妙にまじめな顔付きで窓の外を見つめている。その隣の初老の地味なジャンパー姿の男性はミイラのように無言で微動だにせず、何か苦しげな表情で目を瞑っている。その少し間を空けた隣に座る中年のおばさんは、やはり両手に沢山の買い物したらしき何かを抱えたまま、座席に対して心持ちからだを捻り、背もたれに背中をつけるかつけないかのすれすれの状態で姿勢を固定させて、やはり上空の、おそらく中吊り広告かその向こうの何かを見つめながら、そのまま身動きもせずに座っている。


僕はさっきからずっと、ただ座席に座って、正面を見つめている。なぜか少しだけ険しい顔で、少し口を開けて、荒く細かい呼吸を繰り返しており、眉間を寄せたような顔で、只ぼーっとして、正面の虚空を見つめている。僕は、この電車の中で、周囲に居る人々からまったく浮き上がっておらず完全に馴染んでいる。お互いがお互いをまったく意識せず、齟齬も干渉もなく、ただ無関心だけが降り積もる場の一角で、まさに全体の中の一部として、そこに座っている。ああ俺はまごうことなき、おっさんだ。と思う。おっさんとは、こういう電車の中の、こういう空間の中で、こういう表情と姿勢で、只ぼーっとして、正面の虚空を見つめているような人間のことをいうのだ。それをかつての、若い頃の僕ははっきりそう感じていたはずだ。でも今、まさにその時の僕が感じていた中年というもののイメージを、現在の僕はそっくりそのまま踏襲しているのだと思った。そしてその事に何の焦りも諦めも絶望も感じず、ただひたすら、ぼーっとして、まるで虫とか爬虫類とかのような、何の感情もない存在でしかなく、座席に座って、只ぼーっと正面を見つめている。