録音された音楽の出力


「音楽にとって展示作品というのは、大量複製されてちいさいスピーカーを直接耳の中にいれて聴かれる録音された音楽の貧しい末路に対する、音楽家の側からの異議提出になるし、なにより録音された音楽の使い道としては、最高に贅沢な方法だと思うのだ。」という大友良英氏のブログにあった言葉は素晴らしい。かつ同時に、自分が普段、如何に音楽を矮小化して聴いているのかを痛感させられてドキッとするというか、自分の駄目さにちょっとしょげるような気分にもさせられる。


最近CDを普通にプレイヤーで再生して、アンプを通してスピーカーで、そこそこ大きな音で聴くのが楽しくて、CDが山積みになってる部屋に再生装置を持ってきて、そこで気の向くままにいろんなCDを聴いているのだが、もちろんみんな今まで聴いてきたものばかりなのだが、しかし10代の頃から今に至るまで、如何にたくさんの音楽をヘッドフォンステレオだけで聴いてきたのか?というのを痛感させられる程、何を聴いてもかなり新鮮である。聴きなおしてみると全然違う。ボリュームを上げるだけで聴こえてくるものが違う。別にうちにある再生システムは全く高級でもなんでもない。でもかなり違うのだ。


っていうか、そんなの実につまらない話でイヤホンで聴いてたものをスピーカーにしました、というだけなら、「録音された音楽の使い道」として、二番目か三番目に貧相の順位が入れ替わったくらいの事でしかないのだろう思うが、でもそこはまあ、さておくとして、再生方法が変わったから新鮮に感じる、というのもあるのだろうが、それよりもむしろ聴く態度が違うのだ。たぶんそういうところで普段から新鮮な気持ちでいるのが大事です。


(まあでもその新鮮さって、単に出力波形の違いだけで、音楽の違いではないのでは?、という自分への疑いもある。要するにオーディオとか音質とかに凝りだすのの前兆なんじゃないの?的な。オーディオマニアの一番怖いところは、今聴こえている音自体を「未だ未完成の状態」ととらえてしまう性癖だろう。録音された音楽を聴くのに最適な環境作りに頑張ってるのと、録音された音楽を聴くこと自体はまるで別のことである。)