Blogless


今日は文章を書くかもしれない、と思うだけで、景色や町並みや人々の行き交いといった、自分の周囲に広がっているすべての事象に対して、それを感じるときの意識に、昨日までは無かったあるぎこちなさが生じる。全周囲と、それをせわしなく取捨している自分の意識ひとつひとつが、あとで書かれてしまうかもしれない、という予感の作用で、かすかに緊張したまま風にそよぎ、揺れているかのような。


しかしおそらくは、いざ書き始めたら、それまで感じていた事など、はるか彼方の昔の思い出にしか過ぎなくなってしまうだろう。書き始めたら、最初に思った通りには絶対に行かない。いや、最初に思った事がもはや、今とつながってない。というか、今が最初という事でしかない。だから結局、書くときの今この瞬間の駆け引きだけで書かざるを得ないのが、人間が書くというときの限界である。そのときはもう、すべてが記憶の彼方で、完全に手探りでしかない。だから、書く前に高揚したりするのも本当は無駄な事なのだが、そうは言っても高揚するのが人間の感情というものである。泣ける、というのは無駄な事だが、それでもつい、泣ける。


いずれにせよ、今日この後、何事もなく夜になれば、そのあとで、予想通り、何かを僕は書くのだろうが、そこで万が一、結果的に今の段階では想像もしないような事を題材にして、些細な、個人的な、取るに足りないどうでも良いことを書いたにしても、それはそのときたまたまそれだった、というだけの事で、その意味では、思ったことを忘れないようにしておくために書く、という事は無理で、あくまでも、そのときたまたまそのようにしてあった、というだけの事が、偶然そのまま残るだけであろう。もちろんこれも、今の時点でのひとつの主体的な予測にすぎない。書かれたら、そのようなものかもしれないが、しかしほんとうに僕は今夜これから、一体何を書くのか?