音楽を


音楽を聴く、というのは、機材を買うとか、CDを買うとか、あるいはCDを探すとか、システムを構成して電源を入れるとか、そういう事もすべて含みこんでいる。自分の部屋にはCDの山が大量に積み重なっているが、その山を前にして、とっかえひっかえ、色々なディスクを再生して、それを聴く事で更に何かを考えたり連想したり思い出したりして、、またほかのCDを探し始めるみたいな、そういう連鎖で音楽を聴いてるのは楽しい事だが、そういうときは聴いてるのか探してるのか考えてるのかどちらとも言えないような時間を過ごしている状態である。音楽に関する機器を買うというのは、そのような時間に対して、さらに一層、楽しい何かが付け加わる感じで、だから余計、期待に胸膨らませるのである。逆に言うと、スピーカーやアンプを買うという事が、音楽を聴くという行為の延長にあるので、そういうときの買い物とは、音楽を聴くという行為の中のひとつであるところが、楽しいのである。でも音楽を聴く、という行為全体の中で、機器とか装置の占める割合がやたらと多くなったりして、それにばかり関心が向かってしまうのはつまらない。そのくらい悪魔的なまでに魅力的なのが"ハードウェア"というものなのだが…。


ところで、たとえば音楽雑誌が、ある音楽家について考えたい。本人と直にコンタクトして色々聞いてみたいというとき、そのミュージシャンとサシで向かい合って長時間インタビューしたりする方法もあれば、そのミュージシャンの使用機材とかエフェクターとかギターに施してある細かい改造とかにスポットをあてるような方法もある。これは僕の個人的な印象だが、音楽家にアプローチするとき、その人自身に長時間話を聞いて、いろいろな言葉を引き出すという方法よりも、その人の使用機材とかを徹底的に調べ上げるようなアプローチの方が、その音楽家についてよりたくさんの事を人に伝えるのでは?と感じる。とくに「現代寄り」な活動をしている音楽家の場合、現代的というのはつまり、考え方にせよ演奏の方法にせよ受容のされ方にせよ、とにかく既成のシステムに疑いをもつ立場、という事なので、そういう人がチョイスする機材の組み合わせというのは、少なくとも音楽家自身が、既存の言葉を使って「僕は既成のシステムに疑いを持ってます」と言うよりもはるかに、それだけで何かを雄弁に物語るのではないか。