未来社会


人になるべく親切にする、困ってる人に可能な範囲で手助けする、といったそのあたりだけもう少し根付いて、こなれていけば、社会というものはとりあえず良いのではないか?というのが僕のさしあたりの甘い見解で、もちろんそういうのが無償の行為として実践されるのは稀で、ふつうであればどうしても行為に対する見返りを求めてしまうのが人間の弱さだが、そこに求める見返りを、自分自身の中から引っ張ってこれればベストなのだと思う。たとえば一日ハードに運動したから、さぞかし自分の身体は脂肪が燃焼して筋肉が増強された事だろうと期待するのが人間というものですが、そうではなくて、一日ハードに運動した事の身体的な疲労感、脱力感、倦怠感、かすかな充足感、甘美な愉悦感…といったものを見返りにする、そこに何かしらの意味合いというか、その感覚が他と繋がりうるという事を予感として感じうる、という事であろう。そうなると一元的な対外的な見返りというものは消滅するし、奉仕というこころも無くなるだろう。一日ハードに運動する動機として、ダイエットとか体力作りとかではなく、ただ何となく運動したいような気がしたから…という事でしか無い状況になってしまうのだが。。


基本はまずはじめに、何かに仕える、というところから出発して、最終的には自分自身に問うところに行く。そのようなありかたがもし可能だとするなら、それを根底で支える力となるものは、やはりうつくしさへの希求心であり、そのような循環を為しうる人の醸し出すうつくしさに惹かれる事によって、であろう。