トークショー


昨日の夜は吉祥寺の書店「百年」で古谷利裕×福永信トークショー。とても面白かった。トークショーというのは、以前のジュンク堂での磯崎憲一郎×古谷利裕のときも思ったけど、そのとき話された内容のうちほぼすべてを、トーク終了直後には忘れてしまっているような気がする。これはその時間がつまらなくて退屈したからではなくて、むしろその逆で、面白い瞬間がありすぎるからだと思う。だから終わると、何もなくなってしまう感じになるのだ。トークショーというのは、2時間なら2時間の間、何か意味のある内容について語られているというよりは、なんというか、2時間ずっと演奏が続いているのを聴いているようなものだと思う。そういう演奏を聴いていて、というか、そういう演奏の場を共有していて、何かが自分の中に記憶されるとしたら、それは旋律とか曲構成とかよりも、演奏者のしぐさや何気ないやり取りの感じやタッチの柔らかさといったようなもので、結果的になにが演奏されていたのか?何が話されてたのか?という問いには答えようがないものでしかない。それについては、帰途の電車内とか翌日以降になってから「たしか昨日○○って言ってたよね」とか妻と話して、そのときの事を思い出して思わず爆笑する、みたいな感じでしか、その日に話された事というのは思い出せない。なのでそのあたりは映画の感想を言い合うの感じに似ている。細かいシーンを思い出し合って笑うみたいな感じ。ほとんど忘れてしまっている些細なシーンほど、後から話してて思い出されるとはっと新鮮で面白い感じ。しかし福永信さんの、あの語りの柔らかさと言葉の選び方、言葉と言葉の間にはさまるほど良い密度の空気感、あるいは古谷利裕さんの語りの中の、そこは自由で良いのだという感じと、そこだけは譲れないのだという感じのせめぎ合いの感じや、今話している事のほかに何かに対して心に引っ掛かっている事をある種のもどかしさのように感じさせられる感触など、そういうのだけは、思い出すまでも無く、トークショーの生々しいリアルタイムな感触として伝わって来ており、それだけはしっかりとその場で掴んで持ち帰って来ているのである。それを土台にして、色々とあった話の内容を後から思い思いに思い出すという感じである。