別の場所で


12月10日の午前1:00。ここ数日の寒さが寒い。そして忙しい。忙しさに慣れてきて、睡眠不足な感じや時間いっぱいな感じにも次第に慣れてきてしまって、しばらくはそのままの感じだ。来週からはまた勤務地が変わる。なんとも忙しなく落ち着きの無い日々。今年はほんとうに、前半と後半がまるで違う一年だった。そういえば、もしかすると今日はもう、古谷利裕さんの個展が始まっているのかもしれず、明日はトークイヴェントもあるのかもしれない。でもおそらく僕は明日のトークイヴェントを聴きには行けないだろう。とても残念なことだ。あるいはもしかしたら、ほんとうに夢のような、奇跡のような幸運が起こったとしたら、そしたら行けるかもしれないが、まあまず無理で、おそらくそういうときは、ほとんどの場合結果的にはやはり行けなかったという事で、気付けば夜遅くの会社の最寄り駅から帰宅するよりほかない自分を見出すことになっているだろう。それはたしかに、じつに残念なことだが、とはいえ僕が、明日トークイベントの場に行けるか行けないかということなどとても些細なことで、僕ではない誰かが、その場所にそのときいるのであればもうそれだけで充分じゃないか。と、そうも言えるのだ。なにしろ誰かが誰かと会い、誰かが誰かのことを考え、誰かが誰かによって動かされ、何かが響きあうという、それが生成しているのだと、今、この僕がここにこうしているときに別の場所で、別の誰かによって何かが、たった今も起こっていると、それを、感じる事だ。「感じる」ということの不思議さ。「感じる」とは「見る」ことかもしれない。