水平と垂直


どこまでも続く平坦な海沿いの道路を曲がって少しするといきなり急激な坂道になって、それをひたすら登って、やがて中腹に来て後ろを振り返れば、さっきまで目の前だった筈の海が視界のかなり下にあって、遠い水平線と繋がる空までが一望できるほどの見晴らしになっている。水辺から山の上までの、この距離の短さというか、段階の急激さはなぜなのか。水平的な広がりは海の側で無限に続いていて、しかし我々陸上の生き物は、海の上を水平方向に移動する事はできずひたすら垂直的な上下移動で生きるしかなく、海に入る事もできず、海からどこまでも離れて移動するわけにもいかず、ただひたすら上へ上へと登って、今登ってきた道を見下ろすしかないという感じだ。登る事で水平方向の広がりを視覚的に確認できるのだが、たぶんそれは遠くが小さく霞んでいるという事での確認でしかなく、本当の意味での水平空間を理解している訳ではない。それはいわば水平を垂直のものさしに当てはめているというか、水平なものを仮構的に圧縮して垂直な視覚へと変換している。それにしても人間1人の力では海の向こうに行けないとか何千キロも移動できないとか、水平的空間というものの大きさというのは大変不思議である。なぜ一挙に移動できないほどの空間が人間に与えられているのか、よくよく考えてみると実に不思議である。一挙に移動できないし、一挙に認識できないような空間に自分が実在していて、しかも認識の外側から色々なものがやって来るのだ。これはとてつもない恐怖である。それと較べると垂直というのはまだわかりやすい。垂直的な空間は人間の故郷である。高いところから落ちたら人間は死ぬ、というのも垂直的な空間が人間に属するからではないか。しかしいきなり彼方へ移動する事はできない。死をもってしてもそれはできない。