イカ


イカは頭を先頭にして、すーっと水中を移動する。白いロケットのようなイカが、なめらかに移動していくのが小さく見える。移動するイカの目は、足の付け根のすぐ傍にあるので、頭を先頭にして移動しているときは、進行方向を見る事ができないが、そのようにして進むというのが果たして「進む」といえるだろうか?進んでいる方向すなわち目的に向かっているときにはじめて「進む」といえるのではないか?目的の方角はいちおう眼差されていなければならない気がする。しかしそれが身体の構造上、どうあがいても目的の方角を見る事ができないのであれば、つまり進む先がどちらの方角であれ常に死角でしかないのであれば、それでもなおかつ進むしかなくさもなくば死んでしまうというほど今までもこれからもひたすらのっぴきならない状況なのであれば、結局イカは進むよりほかなく、その移動は常に暗闇に飛び込み続けるようなチャレンジの連続ということになる。というかイカの身体的条件下において「進む」というのは常にひたすら後ろや横を見回しながら移動する、ということになる、それしかない。


イカはそのようにして生きる。イカが生まれてきた自分自身に気付くとしたら、それまでの場所やそれまでの関係を含んだ、それまでのイカ自身の過去でしかない。しかしそれはそれで当たり前のこと。最初からそのような条件によってイカは生まれてきて、今までもこれからもずっと、そのような自分として日々を営み、静かに海中を移動している。


イカは白い小さな槍の舳先のようなかたちになって、すーっと海中を進み、やがてゆっくりと静止する。足をふわりと広げて膨らませ、全身の力をこころもち緩めると、足先に絡む水流を感じ、水の冷たさと漂う藻のかすかな感触を開放したばかりの内股のあたりに感じる。自分の視界の上下左右からとつもない速さで遠くへと流れ去っていった全ての景色のほんの一部でも思い出そうとしてみるがまったく思い出せない。それはすでに、ただ流れ去っていっただけの一定時間の積み重なりの記憶でしかない。目で見ることのできるものが今はなく、断片的な昔の記憶だけがときおり浮かんでは消えるだけだ。そうやってイカはぼんやりと物思いに沈みながら、誰もいない静寂に包まれた暗緑色の空間の真ん中にゆっくりと漂う。そしてあらためて後方に広がっている景色を見つめる。ここはどこなのか。住みやすく快適な場所か。昨日までと今日からとどちらが良くなるだろうか。まあ何かがわかるまではしばらく、ここに腰を落ち着けてみようかな。それにしても、これからどうすれば良いのやら。行くべきか行かざるべきか、それしか考えるべきことはないのか。行くでも行かないでもないような、もうひとつのあるいはもっとたくさんの選択肢というのが、ほんとうに存在しないものなのだろうか?


それから数日が経過した。少ししてイカは、やがてまた、すーっと移動を始めた。白く細い紡錘形になって、巡航を開始した。音もなく淀みなく進んだ。何の問題もなく景色はふたたび流れては消えていった。先端で水がかすかな渦を巻きそこに生じたいくつもの細かな泡が素早いスピードで身体の表面にまといついたまま滑るように後方に追いやられて離脱しくるくると螺旋を描いて無数に極小の輝きを放ち潮にうちとけていくのを目で追って見ていた。イカはいつもの視線で、自分の身体から離脱していく無数の泡の輝きを見つめて、泡というよりその輝きの残滓だけを目に焼き付けながら、結局はその向こうに流れる景色の方をひたすら見ていた。こうして流れ去っていく景色を見続けているというのは、まるで映画を観ているかのようだな、とイカは思う。こうしていつまでも上映が終わらない。自分が映写機のようなものなのだろうからね。だからまあ、それはそれで、悪くない。今こうして自分がそれを悪くないと思えるのであれば、それはたしかに悪くないに違いないだろうとも思った。しかしイカはそのとき自分が白い紡錘形のかたちを保ったまま時速にして数百キロの速度で巡航し体表の表面温度を零下二十℃まで下げたまま、あたかも極寒のシベリア鉄道を行く鋼鉄の塊の如くひたすら機関駆動し続けているのだという事実を自分自身の仕業として知ることはできないのだ。


やがてイカはしばらくしてまた別の、今までとはずいぶん異なる色合いの、まったく別の海中の只中までやってきて、いつものようにゆっくりと静止し、さてここはどこだろうとふたたび後方を見やる。そこで景色の様子がいつもと違うことに気付いた。景色が違うというより、水の透明度が違う。今日は天気がよく海底にまで明るい日差しが差し込んできておりしかも水質に濁りが少なくあたり一面空間がおどろくほど澄んでいて、大げさかもしれないが自分がそれまでの年月をかけてひたすら移動し続けてきた何千マイルにもおよぶ全ての距離空間、すべての拠点が、今この場所から最初の開始地点に遡るまで、遥か彼方の向こうまでが一様に一挙に、一目で見渡せてしまうかのようだったのだ。


イカはいま自分に気付いた。それまでの時間の流れを一挙につかんだ。…自分に気付いた、と思ったとき、本当は何をわかったときなのか?というと、それまでの過去が、スーッと、ある程度の奥深くまで一様に見通せたと思った瞬間のときに、それを「気付いた」と思うということなのかもしれない。それはだから、常に過去の見通しである。自分とは、あるひとまとまりになった過去のことなのだ。イカは後方を見ながらそう思った。


それはいわば、パノラマの空のようだったとも言える。全体が空なのであれば、それがパノラマかどうかはわからない筈だが、しかしパノラマとしか考えられないような空として景色というものがあるのだとしたら、今自分の後方に広がっている景色こそがそれだった。それは同時に、それまでの自分がそのときそのときの判断で進み続けた結果の凝縮とも言えるのでは?と思いもしたが、しかしそう思い込むほどの気持ちにもならなかった。そして、イカはただそこで途方に暮れるかのようにして、自分と時間をもてあましたままその場にいて視界に入るものすべてを見たり見なかったりして、それは面白くもあったし、何とも興ざめに思うところもあったし、それでも時間だけはひたすら無尽蔵に流れ去っていくばかりで、充足しているといえばしていたし、退屈といえば退屈でもあったが、さてそれではもうそろそろと、いつものように一旦心を閉ざして次に進むのも、今ばかりはなぜかあまり気が進まず、結果的にいつまでもそこにそうして漂っていた。遠くの方でプランクトンが一群となってかたまり雲のように太陽の光を受けて光っていて海底には薄青い影を落としていた。完全な凪であった。すべては静止していて、物を動かしうる力を持っていそうなものは見当たらなかった。もし動きがありうるとしたら、降り注いでいる太陽の光くらいしかさしあたり思いつかないほどの明るい静寂だった。イカはなおも見ていた。見れば見るほど掴み所がなくて、ただひたすら広大で芒洋としている。