中央線に一日中乗っているのは楽しい。とてつもなく楽しい。しかしだからといって、休みをとって今日は朝から一日中、中央線に乗っていようと思って、実際にそれをしても、おそらく楽しくはないだろう。今日みたいに、用事があって、しかたなく、一日かけて、中央線の路線の端から端までを移動しなければいけない、というような、あらかじめあたえられた要請のなかで、自分があらかじめそれに従って振舞っているとき、そこで見出されるものがはじめて、それとして楽しいのだ。だから起こった面白い出来事は、すべていちいち、今日僕が要請されている用事とそれに規定された行動規制の影響をうけたうえではじめて面白いのだ。もし、同じことが、あらためてもう一度体験できたとしても、それは全然別の印象しかもたらさないだろう。それは出来事のかたちに依存しておらず、それを受取った僕の、あるひとときの過程内において、何がしかの強さをもつのだ。
そもそも「面白い出来事」などという言い方が、まったく不正確だ。「面白い出来事」などひとつも起こってない。それを自分が「出来事」だと思っているだけのことなのだ。というか、ある要請によって、仕方なく中央線に乗っている自分という状況があって、それだからはじめて気づく事のできる「出来事」というものがあるのだ。その事の意味とか、なぜそういうことになっているのかを考える事の意味もあるだろうが、しかしそれよりも、今この、それを、なんとかして、伝えたいと思う、とりあえずのそういうやる気を、かすかながらも沸き起こさせてくれるのが、僕にとっての中央線体験なのだ。
窓の外が濃いブルーに。夜明けが近づいてきた。