爬虫類の夏


真夏の日差しに焼付くような天気。二の腕を紫外線から守る黒い長袖の女性たちとサングラスと熱したフライパンのように熱いクルマのボンネット。横浜の野毛山動物園で動物を見る。動物たちみんな結局暑さで参っちまっていた。それは夏のせい。しかし哺乳類はたしかにそのような感じだったが、爬虫類だとそうでもなくて、むしろ暑さや寒さとはまったく無関係に、ただひたすら自分を停止状態にして、その場にじっとしていて、微動だにしない感じは単純に見て死んでるとしか思えぬほどで、それこそ自分の身体機能のあらゆる部位を、呼吸や心臓の鼓動に至るまで完全に停止させているかのようだった。爬虫類はまるで植物にも似ているとさえ思った。クマやサルやキリンの飼育係からはその仕事内容から、ある種の親子関係めいたものを沸き起こさせるような、とくに見返りの期待されていないような類の、無償の愛情によって結ばれた固い契約関係の安定した強固さめいた何かを感じさせるようにも思うが、蛇や鰐や亀の飼育係の仕事からはおそらくそのようなものを感じることはなく、かといって植物を育てるときのような努力と成果の物語もやはりおそらくはなく、そのいみで心の置き場をどこに設定すべきかが容易には確定できないような、ある意味でかなり不条理な仕事であるのかもしれなかった。そのような、目の前の動物たちの背後に居るはずである人間たちの戸惑いというか、この事態を適切に受け止めることがいまだできず、その感情をあらわす適切なことばもいまだ所持していないことの焦りめいた心の襞の様相さえ一瞬で感じさせるほど、爬虫類たちの皮膚は冷たい鱗に覆われていてその表情に生き物の暖か味のある生々しい弱さが感じられないのであった。夜は中華街で中華料理。大量に喰う。