ボア


デュラスの短編「ボア」を読む。これにも驚いた。すごくいい。前半は人間臭さのない動物たちの世界を残酷ながら格調高く静謐に表現していて、後半は処女性を保持したまま年老いてしまう女への辛らつな拒否と嫌悪、外部へ身を投げ出すことで身を清める=蛇の餌になる若鶏に重ね合わせることで死の完全な成就みたいな、こう書くとたいへん図式的というか如何にもな感じで、たしかにそういう感じでもあるのだが、でもこういう超ゴージャスな感じも好きなのだ。


とくに前半の動物たちの描写が最強だ。二十年前にある駐在兵士がふざけて足の先で鰐の口をくすぐろうとして、それで鰐がその足を根元からかみ切ってしまい、かわいそうな兵士の一生を台なしにしてしまったのだが「そのとき以来アメリカ鰐の池のまわりには柵が作られ、いまでは彼らが、半分目を閉じて眠り、彼らの昔の犯罪の鮮烈な夢にひたっているのを、安心して眺めることができる」ようになったのだとか、黒豹がセメントの地面の上で息たえだえになっており「その豹たちは、彼らのおそろしい苦しみを眺めて、嗜虐的な快感にひたっている人間の顔からかたくなに目をそらし、鉄柵ごしに、猿の群れが氾濫するアジアの大河の緑の河口を、じっと虚空に夢見ている」のだとか、もう昔の残酷な動物園の空気感もいいし表現が冴えわたっていて素晴らしい。


ボアという大蛇が日曜日には生きている若鶏をエサとしてもらう。それを食べるところを見世物にしているのだが、主人公の娘がやや遅れてその場所に行った日には「ボアはすでに、若鶏の羽毛を散り敷いた上で半睡状態になっていた。それでもやはり、その檻の前で、しばらくじっと立ち止まったものだった。もう見物に値するものはなにもなかったが、その直前にどんな事件があったのかはわかっていたから、めいめいがボアの前で、深いもの思いに沈んで立ち尽くすのだった。殺戮のあとのこの平和。これら羽毛の、なまあたたかい雪の中で成就されたこの完璧無比の犯罪。その羽毛の白さが、若鶏の無実に幻惑的な現実感を添えているのだった。この汚点ひとつない、流血の痕跡もない、悔恨もない犯罪。悲劇的破局のあとのこの秩序、犯罪の部屋のなかのこの平安。」


この絢爛な感じ…。いいわ。


「とぐろを巻いたボアは、至高の落ち着きにみちた消化作用、焼けつく砂漠の熱砂が水を吸収するのと同様完璧な、聖なる静寂のなかで果たされる物質転換とでもいった消化作用のなかで、若鶏を吸収してゆくのだった。あのおそろしい内的沈黙のなかで、若鶏が蛇と化するのだった。思わずめまいを覚えさせるような至福の感覚のうちに、太さの一定した長い管のなかで、両脚動物の肉が、爬虫類の肉の中に溶けこんでいった。丸くて外側には手がかりらしきものがなにひとつなく、外形だけ見てもただ茫然とさせるような、それでいてどんな猛禽の爪、どんな人間の手、猛獣の爪、角、あるいは牙よりも把握力のある、しかもなお水面のようにすべすべした、無数の動物のなかのどれひとつとして匹敵するもののないようなむきだしのその外形。」


こういう完全性というか、まったき美、強さそのものみたいな、そういうのをブリブリの筆致で書いて、後半に老醜を出して比較させる。というか、救い、浄化としての淫売宿、娼婦性というのが出てきて、その聖性をうたい、それとは逆の年老い貞節の不潔さを糾弾するみたいなことになる。


「八つのときだったと思うが、そのとき十歳だったわたしの兄が、ある日、あそこが《そんなぐあい》になっているのか見せてくれとわたしに頼んだ。わたしは拒絶した。すると憤然として兄は、わたしに、《それをかくしていると息がつまって、とても重い病気にかかるんだぞ》とか宣言した。それでもわたしは、やはりいうとおりにならなかったが、しかし何年もの間わたしは、だれにも打ち明けなかっただけにいっそうつらかった、ある疑惑にさいなまれて過ごした。そしてバルベ先生がわたしにそのからだを見せたとき、そこにわたしは、兄がわたしにいったことの確証を見たのだった。そのときわたしは、バルベ先生が年をとったのはもっぱらそのことのため、つまりそこから乳を飲んだにちがいない子供たちのためにも、からだを役立てなかったためなのだと確信した。自分のからだをひとの手であばいてもらうことによって、きっと孤独の腐食作用を避けることができるのだ。役立てられたからだ、いかなること、たとえば人に見られることのためにしろ、役立てられたからだは、保護されているのだ。乳房がひとりの男のために役立てられると、たとえ彼に、ただそれを見ること、その形を、その丸みを、その引きしまりぐあいを知ることを許すだけだとしても、その乳房が男の欲望をはぐくむことができたそのときから、そんな失寵の憂き目から免れるはずだった。なによりもまずわが身をひとの目にさらす場所である、淫売宿にたいしてわたしがかけていた大きな期待の理由も、そこにあった。」


…しかし、ここまで長々と書き写してしまって、なんとも古いというか、これはさすがに昔の小説だなあ、とは思った。たぶん僕としてはその古めかしさがまた好きなのだろう。とくにこの、役立てられたからだ、という言いかた。この強い言い切りのかんじと、投げ出してしまったきりなかんじの混交
度合いが、なんとも味わい深くて、滋味深くて。。