西日暮里


西日暮里の事はよく知らない。終電がなくなるとタクシーに乗る場所で、改札を出てタクシーがいるところ、という事しかわからない。いや、ここ十年で、一度か二度か、三度か四度は、西日暮里で飲んでいる筈だけど、でもその店にもう一度行ってみろと言われても、絶対に二度と行けない。それどころか、ほんとうにそこで飲んだのか、本当にそんな店が実在していたのか、それすら心許なく、自分の記憶が信頼に足らない、何か酔いの只中に浮かぶ幻想のような、そういう曖昧模糊としたイメージの積み重なりだけがふわふわと何年分も溜まってるのが、西日暮里。終電がとっくに終わった夜の、人も車もまばらな道路の真ん中に、ぽつんと一人になって、その途端に、もうやたらと、面白くて面白くて、笑いがこみ上げてきて、ああ…夜って、なんでこんな楽しい事ばっかなんだろうと思って、あとはもうニヤケた笑いが抑えきれなくなってしまうときの感じ。で、タクシー拾って、後部座席のシートにふんぞり返って、ふーっとため息ついて、窓の外の夜の景色を見ながら、ひたすらずーっとへらへらとにやけた笑いの中にいて、それはもう、ほんとうにおもしろくて、楽しい気分で、いつまでもため息が出て、いつまでもにやけている。いや面白かった、という事で。分け隔てなく、楽しかったね、という話で。その背後に真っ黒な闇をたたえて広がってる砂を噛むような空しさも込みで、すべてはオーライにして、やがて車は、千住新橋を渡るのだ。